代取マザー、時々おとめ

宝塚の観劇感想メインのブログ。たまたま代取(代表取締役)になったワーキングマザーの日々と哲学。

プリンス・オブ・ブロードウェイ 柚希さんの柔らかな感受性とラミン・カリムルーさんのこと

(11/29観劇いたしました。やっぱり、素敵でした。観劇感想は以下のサイトからどうぞ!)

 

金曜日の夜、さすがに1週間の終わりは疲れますが、スペインバルでとある打ち上げをし、いい気分のmiyakoguです。ちなみに娘のお迎えにはかなり遅れて怒られました・・。いやぁ、金曜夜っていいですねぇ。うきうき。

な・ぜ・な・ら、明・日・は!王家に捧ぐ歌の2週間ぶりの観劇、SS席なのです!くくくく(浮かれている)。

さて、その前になぜ私が柚希礼音様がご出演されるプリンス・オブ・ブロードウェイのチケットを確保したのか、柚希様とそしてもう一つのお目当て、ラミン・カリムルーさんのことを今日は書きたいと思います。

 ※その後、観劇はまだですが「週刊新潮」の記事について書いたものはこちらです。

mothercoenote.hatenablog.com

 

mothercoenote.hatenablog.com

1.柚希礼音さんの柔らかな感受性

プリンス・オブ・ブロードウェイ観劇の第一の理由は柚希礼音様の退団後初のダンスパフォーマンスです。男性的なものなのか、それとも中性的なものになるのか。できればいつか、神とダンスによって交信するような踊りが見てみたい気持ちもあります。

私は柚希さんの芯には、非常に柔らかな感受性があると思っています。インタビューで語られていますが、バレエを本格的にされていたことから来る男性としての演技やダンスへの戸惑い。REONで作詞をされた「ちえちゃん」の中に出てくる幼い頃の家族との思い出。素直に歌詞にされた中に、幼い頃から、常に周りの人が自分のために何をしてくれているのかをまっすぐに受け止め、そして覚えておられた、おそらく非常に繊細な感受性を感じます。やんちゃで男の子のようだったという外見に隠された、柔らかで繊細な震える透明のしずくのような感受性=女性性を感じるのです。

退団会見の時の涙に加えて、私は「ザ・タカラヅカⅥ 星組特集」でのちえさんのインタビューに非常に心打たれました。引用したいと思います。

「私達にとって舞台は日常ですが、お客様の中には、ご病気だけれども頑張って観にこられた方や、一生懸命アルバイトをしてB席で一回だけご覧になっている方もいらっしゃいます。そんなお客様の貴重な一回一回の舞台を、責任を持って務めようと肝に銘じています。」

(出典:「ザ・タカラヅカⅥ 星組特集」p64,株式会社阪急コミュニケーションズ、2014年より)

引用しただけで目が潤んできました。これを読んだのは帰りの電車の中ですが、涙涙で大変だったことを覚えています。

そう、柚希さんは周りの方々の思いを受け止めることに、とても優れた方だと思うのです。おそらく子どもの頃から。そして、日々、膨大なお手紙を読まれ、ファンの一所懸命なエピソード一つ一つを、身体に直接、染込ませるような能力がおありになったのではないかと思うのです。

宝塚のトップスターさんからすれば、より多くのチケットを購入してくれるお客さん、業界に影響力を持つお客さんの方に目がいくことも当然、おありになると思います。目の肥えた長年のファンにこそ、認められたいと思って当然です。

しかし、このようなインタビューを読む限りにおいて、柚希さんは劇場の一番後ろに座っている1公演1回観劇の観客のことを常に考えておられた。確か、音校生時代に一番後ろの席で見ていたご経験から、退団公演で2階席にお越しになったと読んだ記憶があります。でも、多くのジェンヌさんが同様のご経験をなさっているのに、それをずっと覚えていて、その気持ちに報いようとする。これはもう個人の感受性の問題だと思います。

私の宝塚2度目の観劇が、柚希さん率いる「ロミオとジュリエット」で本当に良かった。そうでなければ、時々、興味のある演目を見ていただけのファンだったかもしれません。それくらい、劇場の最後列まで届けるという気迫を柚希さんから感じたのです。そして、その気迫は退団公演のショウでは、劇場全体を包み込むような強い優しさ、観客を包み込むような母性とも言える優しさになっていたのではないかと思います。

 

2.ラミン・カリムルーさんのこと

その柚希さんとこのたび共演されるのがラミン・カリムルーさんです。

miyakoguはオペラ座の怪人、レ・ミゼラブル、キャッツ、ミス・サイゴンが同時に上演されていたロンドンで、ミュージカルに出会いました。今から考えるとなんという贅沢でしょう。全く予備知識ゼロで、吉田都さんのバレエを観たのも、旅先の公園でカレーラスさんのコンサートに遭遇したのも同時期です。

当時から時を経て、2011年に特別に公演された「オペラ座の怪人25周年記念公演」、そこで怪人=ファントムを演じたのがラミンさんなのです。

このDVDが、それはそれは恐ろしいものなのです。もちろん特別公演ですので総勢200名以上が出演、ロイヤル・アルバートホールの装置、オーケストラ、とまぁ、それはそれは特別な舞台なのです。メイクアップ、衣装、映像、舞台美術、全てに最高峰の才能が結集しています。

そもそも劇中劇に、ロイヤルバレエの当時プリンシパルであったセルゲイ・ポルーニンが登場して、ぴよーーんと狭い舞台で跳びまくっているのです。明らかに常人とは異なる美しい身体、跳躍。見ただけで只者ではないと伝わってきます。

ラミンさんの怪人の特殊メイクは非常に不気味なものです。そのために、仮面をはがされた時のみじめさが一層際立つ、その効果は絶大です。宝塚歌劇団で上演された「ファントム」では、「ええ?この傷程度で、ちょっと待ってや。ただのイケメンやん?しかも傷で、さらにイケメンになってません?」という美しさです。

しかし、この不気味なメイクが最後の場面では全く目に入らないほどのラミンさんの演技と歌なのです。初めてDVDを観たとき、まさに「なんじゃ、こりゃーーー?!」(=最大級の賛辞)となりました。

ラミンさんの大きな武器は、哀切さ、悲痛さ、しかしその中に美への熱望、憧れを感じさせる歌唱です。miyakoguは音楽の専門家ではありません。悲痛さを感じさせる場面で、なぜ、このささやくようなか細い声が劇場一杯に通るのか、それが一番の不思議でした。どなたか、どういうことなのかお教えください。

もちろん怪人は怒るし、クリスティーヌを誘い込もうと説得するし、声を張り上げる場面の方が多いのですが、そういったパフォーマンスは他でも聞けます。しかし、この哀切な響きを同時に劇場に響かせることが出来る方は、そうそうおられないのではないかと思ったのです。

私の非常に限られた宝塚経験で本当に申し訳ないのですが、そういう歌声を聴いたことがあるのは(映像ですが)春野寿美礼さんでした。哀切さ、秘めた切なさという意味では、壮一帆さんのファントムでのキャリエール、若き日の歌は忘れじ、Sall we dance?でのセリフもそうでした。

そういった声や響きは、神様からの贈り物なのかもしれません。ラミンさんは音大等での正式な音楽教育を受けられたことはないようです。でも、「オペラ座の怪人」25周年イベントで怪人を演じるのに選ばれたのは彼です。もちろん歴代の名怪人たちは他との契約もおありになったとは思います。しかし、本当に素晴らしいパフォーマンスでした。

miyakoguが号泣したのが、最終チャプターです。(以下、ストーリーをご存知の方も非常に多いと思うのですが、盛大にネタバレです)

怪人は恋人のラウルか自分か、どちらかを選べとクリスティーヌに迫ります。ウエディング・ベールを片手に、母にも嫌われ抜かれた過去を語りながら・・。プライドも何も、もうあったもんじゃありません。とても傲慢で強い怪人が自らをさらけ出す場面です。それだけ、彼は必死なのです。愛を得るために。書いてるだけで泣けてきました・・。

怪人、クリスティーヌ、ラウルの緊迫感あふれる三重唱。それでも選択を迫り続ける怪人。それぞれが自分の思いを歌で吐露します。(人の言うことは聞いてない可能性も大です)

そして、クリスティーヌは「絶望に生きた哀れなあなた」と静かに歌い始め、ラウルの命を救うためもあってファントムに近寄り、遂にキスします。その時の喜びよりも、信じられないという表情を見せるラミン。呆然として、でも初めて人に愛された実感と衝撃を胸に、彼はクリスティーヌをラウルを許し、自由を与え「一人にしてくれ!この地獄の秘密のすべてを忘れて、行け!」と叫ぶのです。

そしてヴェールを手に崩れ落ちる。その絶望と静けさ。そこでオルゴールが鳴り始めます。マスカレードの音楽を奏でる道化の猿のオルゴール。その顔を片手で仮面のように隠す怪人。

そこへクリスティーヌが指輪を返しに戻って来ます。そして、怪人はようやく「クリスティーヌ、アイ・ラブ・ユー」と歌うのです。とてもとてもか細く静かな、しかし劇場に通る声で・・。号泣です。この場面での怪人はオペラ座に君臨した影の支配者でなく、恋するナイーブな青年に見えるのです。

最後にもう一度振り返るクリスティーヌにかすかにうなずき、怪人は見送ります。あれだけ手に入れたかった相手の手を離す、愛するが故の諦念の表情を浮かべて。号泣です。

とにかく、これだけの演技と歌をみせる方を、ミュージカルで観たのは初めてでした。特別な公演ということはわかっていますし、私のごくごく短い観劇歴では比較にもなりませんが、宝塚では観たことがないパフォーマンスでした。

 

3.美しい宝塚

その後、もしかしたら失望するかもしれないと思って再び観た宝塚。しかし、私は失望しませんでした。なぜなら、出てくる方すべてが美しかったからです。むしろ、宝塚はここにしかないものを確実に持っていると、嬉しく思いました。そう、御殿とお祭りです。

美しい若い女性達が一所懸命に放つ光。その光の集合が創り上げる世界のどこにもない舞台それが、私にとっての宝塚です。