代取マザー、時々おとめ

宝塚の観劇感想メインのブログ。たまたま代取(代表取締役)になったワーキングマザーの日々と哲学。時々呟きます。@miyakogu5

雪組・星逢一夜 まじめに感想 その5訂正!! 孤独で聡明な少年の成長 早霧せいなさんの美と歌

ひとつ大きな勘違いをしてました!!大訂正いたします!! 晴興の父藩主は江戸でご健在、一緒に徳川様にお目見えされています。たいへん失礼しました! 以下、慌てて訂正、どうかあほうなmiyakoguをお許し下さいませ(>_<)

 

皆様、こんばんは。「雪組・星逢一夜」パンフレットの主題歌のページの子役3人の写真、ご覧になりましたか?宝塚歌劇団さんは何か、「萌え」をマーケティング上の爆弾に使う研究でもひそかにされているのでしょうか?もしそうだとしたら、恐ろしい研究です・・。

※お越しいただき、ありがとうございます。勢いのあまり、「星逢一夜」について、結局16個もの記事を書いていました。そのまとめがこちらです。よろしければご覧下さい(^-^)。 

mothercoenote.hatenablog.com

 

1.孤独で聡明な少年が見つけた星々

早霧せいなさん=ちぎちゃん演じる晴興(幼名 紀之介)は側室のお子さんとして、やや日陰者的なポジションとして登場します。父親である三日月藩主は長らく江戸におられるようで、三日月藩ではお母さん役の早花まこさんしか登場されません。

藩の中で省みられずにきた孤独な存在。しかし彼はおそらく生来の聡明さによって、一人で星を見る楽しみを見つけ、観測し、星の巡りを計算していたと思われます。私の読みでは、観測や計算を手助けしたのは養育係の鈴虫=香綾しずるさんではないかと。あの方、お見受けするに藩内では唯一の味方でしたよね。おじい様役を大変上手に演じておられるがおりさんです。また、実は賢い子であると、早花まこさん演じる実母も見抜いておられます。

彼が星を観ることによって見つけた自らの楽しみ、生きがい。同時に、村の子ども達との暖かな友情も、紀之介にとっては空に輝く星だったのではないかと思うのです。そして、その中で一際輝く2つの星。一つが泉であり、もう一つが源太。同じくらい大切な星だけれど、泉の星は紀之介にとって少しずつ強い、暖かな自分をどこかで救ってくれる光の存在となっていったのではないかと思います。

そして、おそらく、泉と源太にとっても紀之介は、自分達が考えたこともない新たなものをもたらした星であったと思えるのです。

そのような美しい鮮やかな魂の交流が、結果的に、後の晴興のある決断へとつながっていくように思えます。彼は一揆を鎮める能力があり、無事に事件を解決したにも関わらず、彼を見出し彼を引き上げたもう一つの強い星=徳川吉宗を結果的には裏切ることになります。

 

2.青年の晴興が見つけた強い星

田舎者扱いされる中で、自分の才を見出し、引き上げてくれた強い存在である徳川吉宗。それは晴興が江戸城内で見つけた強い光を放つ星であったのだろうと思います。

その地上の星に惹かれ、実際の天空の星を観る時間を失ってしまった晴興。なんと皮肉なことでしょうか・・。

しかし、これは働く女子にも非常によくわかる話なのです。見込まれ、期待され、期待に応えると次の新たな仕事がやってくる。どこまでも行けるものなら行ってみたい、しかし、星を観る時間はなくなり、時にもう勘弁してくれという気持ちになることだってある・・。宝塚を観劇されるような働く女子も同じような話に遭遇されたことがあるような身につまされる話です。

いえまぁ、miyakogu自身のことですかね・・。何だって、会社でこんなことになっているのか・・。

 

3.晴興の繊細さ・聡明さがもたらす悲劇と美しすぎる罪

晴興の悲劇は、村人の子どもたちとの交流の中に星を見出す繊細さと、徳川吉宗の圧倒されるような強い光を放つ星を見出す聡明さの中で、彼が二つに引き裂かれていくところにあるように思います。

いずれの星をも見つけ出し、同時に引かれていくような聡明さと繊細さ

そして、何よりも、総髪で青い衣装を身にまとったちぎちゃんはただ、ただ美しい!!美し過ぎる!!

大運動会の写真集でお見かけする眉間の皺、大ジャンプとは全く結びつかない静かな熱情を秘めた美しさ。この人はなぜこんなにも青年武士が似合うのでしょうか??美しさは罪ではないのでしょうか?貴姫も、これほど美しい青年でなければ、結婚していないはずです!ええぃ、真実をお言い!!(はっ、すいません・・)

ちぎちゃんを観ていると熱くてまっすぐな中に、おそらく晴興と同様の聡明さと繊細さを秘めている方だと思えてくるのです。常にお芝居の的確な解釈をされてくる中に、その聡明さを感じます。

いえ、「歌劇」組レポの中で拝読する限りにおいては、多分、実在してそばにいたら一日見ていたくなるような、変なことばっかりするおかしな人のようにも思えるのは事実です・・。(ちぎちゃんファンの皆様、すいません。でも見ていたくなりますよね??)

ただ、あの美しさ、中でもあのとび色の目が、演出家の先生方やみゆちゃんが魅入られてしまう秘密なのではないかと思います。そして私も、「この人は何なんだろう?」と大きな関心を持っているのです。

 

4.ちぎちゃんのセリフのような歌

私はちぎちゃんのお芝居、セリフを語る声が好きで、お歌は以前からさほど気になりません。ちぎちゃんは、セリフのように歌われるところがあり、ミュージカルにおいて歌自身で勝負するか、感情を乗せたセリフとして勝負するか、いずれかがあればいいように思うからです。歌が上手ければいいというものでもないのです。(昨日観たオペラ「椿姫」。ちょろい観客のmiyakogu、一粒の涙も出ませんでした・・。この点については、また書きます。)

ちぎちゃんのお歌は私の浅い観劇歴で大変申し訳ないのですが、博多座で何か大きく変わられたような気がいたしました。博多座で改変が加えられたショウ「Fancy Guy」。ちぎちゃんが、ある場面で朗々と歌われる場面があり、それをみつるさん筆頭に周りが盛り立てられていました。

その時、観ているこちらは少し心配したのです。しかし、ちぎちゃんは歌うことが、劇場に自分の声が響いていることがとても楽しそうだったのです。

Shall we dance?のエラは、どこか遠慮気味で、もちろんそういう役柄であったのですが、遠慮せずにばーんといってくれたら?と思う気持ちがありました。柚希礼音さんが退団挨拶でいみじくも語られたように、自分が楽しんでないと周りを楽しませることはできない、というのは事実なのでしょう。

特に、舞台。映像のような加工は何もなく、観客席と舞台は時間を共有し、その中で起こる魂の交流が感動につながっていく。一方通行でもだめなのだろうと思います。その共有度、シンクロ度が宝塚歌劇団は元来、非常に強く、その中である時、一歩踏み出す人がスターとなり、ファンの星となる。

ちぎちゃんは、もともと硬質な強い光を放つスターでした。ルパン3世の洒脱でありながら真摯な演技を経て、さらに今、新しい多彩な色を加えた光を放っておられるそのように感じられた今作品です。