代取マザー、時々おとめ

宝塚の観劇感想メインのブログ。たまたま代取(代表取締役)になったワーキングマザーの日々と哲学。朝夏まなとさんご卒業によるロス真っ只中。しばらくはtwitterにて(@miyakogu5)

宙組・王家に捧ぐ歌 ファラオが呼び覚ます亡き父の記憶

皆様、金曜夜、お仕事お疲れ様でした。ただいま、我が家では昨晩に続き宙組「王家に捧ぐ歌」が上映中です。ファラオ様がただいま、ラダメスの「エチオピアの解放」の願いを聞き入れたところです。ええ人や・・。

原作であるオペラ「アイーダ」もそうなのですが、「王家に捧ぐ歌」では母親はでてきませんね。父と娘の葛藤、あるいは父と娘の絆のお話でもあります。

 

1.「歌劇」8月号 「話の小箱」での箙さんのご発言

「歌劇」2015年8月号のP151「話の小箱」の最後の一文をご覧になりましたでしょうか?ァラオを演じる箙かおるさんの言葉がこのように記されています。

「私事ですが、昨年父が亡くなって。父もこの作品がとても好きだったので、また見せてあげたかったなって思います」。

(出典:「歌劇」八月号通巻1079号、宝塚クイエイティブアーツ株式会社、2015年8月)

この一文を拝読した時、はっと胸をつかれました。

箙様ほどの方ですと、個人的な出来事が舞台に出るということはおありにならないかもしれません。私は初演を拝見していないので比較はできないのですが、しかし、やはりこの素晴らしいファラオ、父としての演技の陰には、ご逝去されたお父様への想いがやはりどこかでおありになったのではないでしょうか?

「歌劇」の隅っこに掲載されていた小さな記事ですが、はっとした文章でした。

 

2.亡き父のこと

miyakoguも残念ながら、10年ほど前に父を亡くしています。古い家の7人兄弟の三男末っ子として生まれた父は、様々な運命により、家の後を継ぎ家を守る人生を送りました。「親元」の長として、多くの親戚に尊敬され頼りにされた人であり、今でもうちの旦那はんも「惜しい人を・・」と言っております。

私が三人姉弟の真ん中次女ですねた幼少期を送ったのにも関わらず、そこそこ真っ当に成長したのは父親の愛情によるものだと思います。

父は表立って自慢するようなことはなかったのですが、ある席で、私を知人に紹介する際に「この子はリーダーシップがあり」と高校時代、ある運動系クラブのキャプテンをしていて県大会で優勝した時のことを突然、話し始めたのです。

父親はずっと、「クラブばっかりせず、受験勉強を真剣にしなさい」と言ってはいたのです。しかし、一方では秘かに自慢にも思っていてくれたのかと、驚くとともにとても嬉しかったことを覚えています。(ですので、今、娘がのんびり受験対策をしているのも、まぁしょうがないことなのです)

ただ、まぁ、縁談をその方にご紹介していただくという席でしたので、紹介すべき方向性は、まったくもって大きく違っています・・・、お父さんよ・・。

父の仕事の都合で、父と私は2年間×2回、京都・大阪でそれぞれ一緒に二人だけで住んだこともありました。友人達からは「信じられない!」と言われましたが、遅く帰った私が父がつくってくれた晩御飯を食べるという、友人の想像を超える生活ぶり。

父は料理が好きとか、格段に上手とかそういうことではなく、必要にかられれば何でもやってみる、昭和一桁生まれとはとても思えない柔軟で好奇心の強い人だったのだと思います。

 

3.地元の披露宴

無事に私が結婚することになった時、30代後半だった私達は今さらという気持ちもあり、ホテルで家族のみが集まる小さな結婚式をしました。司会進行は新郎、新婦のドレス選びの基準はおいしいご飯が食べられるかという手作りっぷりです。

しかし、父は「お葬式で、初めて親族が知るようでは困るから」という理由で、地元で当方の親族を招いた盛大な披露宴を自ら主催いたしました。司会原稿は新婦父が書き下ろすという手配っぷりです。

「乾杯」を歌う父の音のずれっぷりに、笑いころげる家族。でも私は前に座っていた親友に怒られました。少し前にお父様を亡くしていた彼女は笑い、しかし泣きながら、「miyakoguはお父さんの有難さがわかってない」と怒られました・・。

いえ、今思うと、そうだったのかもしれません・・。確かに。

 

4.出産時に届いた父の「たこ酢」と「梅干巻き寿司」

実家出産のmiyakogu。母子手帳には出産にかかった時間が「48時間」とかかれています。まぁ、30代後半、かなりの難産っぷりですね!今から思うと、おなかの中にいる時から、のんびりした子だったのだろうとわかります。

産院に入ってから時が過ぎ、付き添っていた旦那はんと母親が疲れてきた頃、一夜明けたお昼だったのでしょうか?父親が産院にやってきたのです。荷物を持って。

それは、父親手づくりの「たこ酢」と梅干しの実の部分をちぎって具にして巻いた巻き寿司でした。

父は、当時珍しかったであろう「お弁当男子」で、自分でお弁当も作って職場に持参していたため、その梅干し巻き寿司は父の得意料理だったのです。大変合理的かつ簡単でおいしいレシピですね。いや、本来、私がつくるべきですかね・・。

娘の出産時に、心配で手料理を届ける。それが母親でなく、父親なのです。いかに普通の父とは違うかがおわかりいただけるエピソードかと思います。ちなみに、母は心配そうな顔でぼーっと覗き込んでいるだけ・・。ちっとも役にたってくれませんでした・・。まったくもう・・。

 

5.父の予言と不思議な合致

父は癌の最終ステージで入院していたのですが、亡くなる数日前、弟にこのように言ったそうです。

○月○日に、行かんならん」と。

不思議に思った弟が「どこへ?」と聞くと、父は笑ってこう答えたそうです。

「決まっているがな、あの世に。昨日の夜、ご先祖さんがようけ、お迎えに来てそう言いはった」と、楽しそうに・・。

夢、あるいは痛みを抑えるために使われていたモルヒネが見せた幻覚でしょう。しかし、歴史の古い信心深い地域で育った父にとって、自分の知った顔をおそらく含めてご先祖様がお迎えに来てくれたのなら、それはひょっとして安堵するようなことだったのかもしれません。

そして、父はその出発予定日の一日前に亡くなりました。私はいまわの時に間に合わず自宅玄関にて号泣しましたが、「いや、待てよ。父がそう言ったのなら、まだ待っているはず」と実家に向かいました。

父親の目は閉じられていたのですが、死後硬直の影響でしょう。私が着いてすぐにまぶたが徐々に開き、あたかも私の到着を確認したかのようだったのです。冷静にはもちろん、すべて説明できる話です。しかし、私は「父は私のことを待っていたのだ」と、そう納得しました。

 

そして、父が亡くなって数年後、私は宝塚歌劇と出会い、ロミオとジュリエットで美しい「死」を演じられた真風涼帆さんとの出会いにより、見事に宝塚ファンになりました。

父が行かなくてはならないと言った日。それは7月18日。そう、真風さんのお誕生日です。最初に真風さんのお誕生日を知ったとき、とても不思議な合致に驚いたことを覚えています。

私が真風さんに出会い、宝塚のファンになるのもやはり運命だったのかと思います。いうわけで、次の全ツ、お父さん、通っていいですよね? 多分、父も許してくれると思います。はい。

父と娘の関係。皆様はいかがですか?愛情、照れ、反発、時に憎悪。様々なご関係が複合的にあると思います。しかし、もしご健在でいらっしゃるなら、どうぞ時にはゆったりとお話を。

自戒を込めて、そう願います。