代取マザー、時々おとめ

宝塚の観劇感想メインのブログ。たまたま代取(代表取締役)になったワーキングマザーの日々と哲学。朝夏まなとさんご卒業によるロス真っ只中。しばらくはtwitterにて(@miyakogu5)

NHKドラマ「経世済民の男 小林一三」後編 まじめに感想 小さな希望の灯火の意味

皆様、こんにちは。昨晩のNHKドラマ「経世済民の男 小林一三」後編を、楽しく時に涙で視聴しました。その感想を書いてみたいと思います。宝塚歌劇団の皆様の出演が楽しみだったのですが、むしろ小林一三先生の物語に強く惹きつけられました。

ちょうど昨日行ってみた小林一三記念館(小林一三先生の自邸)で観た居室が、随所に出てきておりました。インテリアや配置は変えておられましたので、昨日の記事とは印象が異なるものの、おおーー!と拝見。また、番組の中で使われていた家族でのお写真は、記念館に飾られているとおりの構図です。ご関心ある方は、阪急電鉄池田駅から徒歩10分程度の小林一三記念館にぜひ足をお運びください。借金だるまの原型も映像で見られますよ。

 NHKドラマ「経世済民の男 小林一三」後編の前に 小林一三記念館に行ってみました - 代取マザー、時々おとめ

前編の感想はこちら http://mothercoenote.hatenablog.com/entry/2015/09/06/121829

 

1.現場からのニーズとイノベーション

この番組では勉強になることが一杯あります。いくつかありましたが、私がとても印象に残ったエピソードが、長男である小林冨佐雄さんが新聞記者に対して答える形ではさみこまれた以下のお話。(脚色もあると思いますが、おそらくはかなり事実に基づいた内容ではないでしょうか?)

小林一三先生は梅田駅の開札で朝から夕方まで立ち、駅に行きかう人々の声から現在の阪急百貨店のニーズを思いつかれます。大変なご苦労のもと、開通した阪急神戸線は神戸と梅田を結び、多くの方が利用されるようになります。おそらく、当時の大阪の中心的な華やかな商業地は心斎橋であったかと思うのですが、梅田からはさらに足を運ぶ必要がありました。他の繁華街もそうだったのでしょう。

駅にて「買物が駅の近くでできたら」という声をキャッチした一三先生。阪急百貨店をつくり、そして素敵で同時にお安い洋食食堂を開設されます。「カレーをおいしく、でも安く」、「既存の方法でできないならその方法を考えろ」というのには「なるほど!」とうならされました。これもイノベーションですね。

誰も思いつかなかったような、世の中にないものを生み出し、提案する。iPhoneに代表されるようなイノベーションはそうです。加えて、皆がほしがっているものをこれまでと異なる手法で提示する。これも重要なイノベーションでしょう。たとえば回転寿司もその一つですね。

現場に出なくなってしまう経営者が多い中で、小林一三先生が食堂でカレーを食べておられ、らっきょかな?と思われますが薬味がなくなっていたテーブルに、自ら「これをどうぞ」ともっていかれるエピソードも印象に残りました。

随分前に、大阪では有名なビルオーナー様に会った時、エレベータを待っている間、その方はエレベータホールで灰皿(当時はまだありました)のわずかなずれを自ら直しておられ、そのことを思い出しました。

 

2.我欲と小さな希望の灯火

商工大臣となった小林一三先生は、当時、軍のもと統制経済に乗り出していた企画院のエリート官僚(岸信介さんがモデルのようです)と対立されます。官僚側も軍の要請にこたえ、日本を勝たせるという大儀のために一生懸命だったんだろうとは思いますが・・。

その時の小林一三先生の信念に共感いたしました。小林一三先生は、人間を動かしているのは「我欲」なんだと強く言われるのです。企画院の案からは人間が見えないのだと。後に、癌で入院されていた息子さんに代わって出席される東宝の忘年会のスピーチもあわせて考えてみたいと思います。

小林一三先生はこう言われるのです。我々を動かしているのは我欲なんだと、良い暮らしをしたい、子どもに教育を受けさせてやりたい、その小さな希望の灯火のために、我々は働くのだと。そして働くこと本来とても楽しいことであり、創意工夫をして、それが認められ、おまけに報酬ももらえて、こんなにいいことはないのだと。だから一人ひとりの努力が報われる社会をつくりたいのだと。

そして、「努力が報われる社会」をつくるということこそ、北浜銀行の創設者であり、小林一三先生に多大な影響を与えた岩下清周氏との約束だったのです。

岩下氏を演じられた奥田 瑛二さんの演技が素晴らしかったですね!豪放磊落でありながら緻密な計算、日本を1等国にしたいという情熱、しかし生駒山(大阪と奈良の間)でのトンネル事故からの凋落、株主からの訴訟。その中での時を経た変化を、顔のつくり、表情で演じ分け、戦後、宝塚歌劇が再開された際に劇場にやってこられた時は、人生の浮き沈みを潜り抜けた風情を全身から発しておられます。驚きました。

阿部サダヲさんの老齢になってからの演技、表情も素晴らしかったです。NHKの特殊メイクによる加齢の表現も驚きでした。ご覧になった方はおわかりになると思いますが年齢を示す「首の筋」。確かに年齢が出るところです。

話を戻します。

小林一三先生は、妻の「こんな空気の綺麗なところに住みたい」という希望から郊外での住宅開発を、そして駅で耳にした「駅に近いところで買物を済ませたい」という呟きからターミナル百貨店のアイディアを得られます。

人々が日々の暮らしの中で、何を欲し、何を望み、どのような小さな希望の灯火を燃やしているのか。一つ一つは小さな灯火でしょう。しかし、それがいくつにもなった時、変革を起こしうるエネルギーに、そして時に時代のうねりへとつながっていくのかもしれないと考えさせられました。

私が担当したある仕事で、どのようにすれば利用されるか?ということを明らかにするために、数多くのユーザー層にインタビューを行ったことがあります。インタビュー対象者は経営者層。

その時に言われました。「もう、俺らな、余計なことは何もしてもらわんでもええねん。そんなことより、時間に関係なく利用でき、使い勝手が良くて、安い○○○がほしいねん」と。

当初描いていた難しいこと、かっこいいことはどうでも良かったのです。使い勝手の良いものがあれば、後は自分達が動く。そういうお話でした。そして、そのシンプルな提案を行い実現され(その案を通して下さった方が偉いのです)、プランニングを担当した私が利用したくても予約が取れない人気のものとなっています。

 

3.「出世が何だ」という呟き

晩年の小林一三先生が茶室で呟かれたこの言葉も印象に残りました。ご長男の小林冨佐雄氏が癌であると分かった時のエピソードです。この茶室も小林一三記念館にあります。

小林一三先生ほどの大事業を成し遂げた方でもそう思われるのか、とそう深く思いました。

私自身のごくごく些細な経験から申し上げると、30代前半に、自分がおもしろくて進めていたある研究テーマが、大阪の小さな業界ですがプチプチ・ブレイクしたことがあります(ごくごく些細な例で本当にすいません)。その時は、後に所得税追徴納入のお知らせが来たくらい、講演やシンポジウムに出て、テレビで見たとの連絡も入るようになりました。自分自身、そうなりたかったし、そのとおり実現したのですね。

しばらくは、うきうきと、張り切って依頼があればお話をさせていただきましたが、しばらくすると、「うーん、これで何か世の中、変わるかしら?」と疑問に思いました。

いえ、正直に言いましょう。自分自身がプチプチブレイク(ごく些細な例で本当にすいません)したところで、どうも個人の幸せが増しているようには思えなかったのです。

当時のmiyakogu、お仕事はそれこそ1日13~14時間くらい働き、業界仲間との飲み会は夜の10時集合。日曜日午後からは再び仕事開始です。休日である土曜日は夕方にもそもそと活動を開始(断続的に寝ていたと思ってください)、そこから歩いてすぐのデパ地下で、時々、奮発して100グラム1200円のお肉を買って「一人すき焼き」です。

いえ、まじでいいんですよ、「一人すき焼き」。だって誰にもお肉を取られませんし、高いお肉を買っても量がしれてますからね! あ、そういう話ではなかったですね・・。

私は多分、「自分以外の誰か」を必要としていたのだと思います。自分のために生きることは十分にしたように思えました。「自分以外の誰か」のためでないと、頑張る意欲が沸いてこない、そういうステージに入ったのだとも言えます。小さな希望の灯火の対象が変わっていった時期だったのでしょう。もちろん、人によって希望の灯火はそれぞれ。私はたまたま「自分以外の誰か」だったのです。

姉の子ども達が私のことを驚くほど好きになってくれて、小さな人達が自分に向けてくれるまっすぐな愛情に打たれたという経験もありました。そしてその後、幸運に恵まれ幸いにも娘が生まれてくれ、私は120%仕事人生から大きな変革を遂げることになります。

小林一三先生のダイナミックな事業とは全く異なるレベルのお話です。しかしながら、これが、私自身の希望の灯火だったのかと思います。

そういうことを考えさせてくれた番組でした。そして番組途中と最後に宝塚歌劇団の皆様がご登場。いえ、もう少し長く登場してくださっても良かったのですが、それだと別のお話になってしまいますしね。最後に男役っぽくきざってくる阿部サダヲさんの目線がおもしろかったです!(感想が「かっこいい」でなくて、すいませんが・・)。

小林一三記念館。2010年に開館され、開館からあまり年数がたっていないこともあってか、他で拝見してきた○○生家、○○邸よりもまだ色濃く当時の空気感が残っているような気がいたしました。ご関心あれば、小林一三先生の息吹の感じられる記念館、どうぞご訪問ください。