代取マザー、時々おとめ

宝塚の観劇感想メインのブログ。たまたま代取(代表取締役)になったワーキングマザーの日々と哲学。朝夏まなとさんご卒業によるロス真っ只中。しばらくはtwitterにて(@miyakogu5)

原作「カルメン」を読んで振り返る月組・全国ツアー「激情」 激情に駆り立てられたのは観客席の私達でした

皆さま、1週間お疲れ様でした。月組さんの千秋楽がわずか数日前の日曜日、熊本で大きな地震のあった2日後のこととは思えないほどです。今も余震が続き、避難生活の中におられる方々にお見舞い申し上げます。

今のところ、私にできるのは募金活動くらいで申し訳ないですが、せめてもうすぐ始まる熊本出身の真風さんの主演公演を精一杯応援したいと思います。

 

1.珠城りょうさん「激情」の謎

さて、月組さん全国ツアー「激情/Apasionado!!Ⅲ」の千秋楽映像がスカイステージで放映されましたね。珠城りょうさんの頬をぽろぽろと落ちていく大粒の涙・・。美しい透明なクリスタルの粒のようなきらめきです。

このブログでは珠城りょうさんに対して突如湧き上がった想いを前に、「何がどうしてこうなったのか?」とつらつらと考えてきました。私は自分で分からないことがあると、「概ねこういうことか!」と納得がいくまで、考え続けてしまうところがあるのです。

この想いは何なのか、そしてなぜこうなったのか、その謎を解きたい。その思いに駆り立てられ、名古屋へ行き福岡へも行く予定でした。しかし地震があったところに、残念ながら珍しく風邪をひき、千秋楽観劇は断念いたしました。

謎は謎のままです。

そこで原作であるプロスペル・メリメによる「カルメン」(原作発行1985年)の岩波文庫版(杉捷夫訳、1929年)を読んでみることにしました。謎を解く手がかりがそこにあるかもしれないからです。

 

2.原作「カルメン」のホセの絶望

文庫の表紙カバーにこうあります。

「歌劇とはまた異なる沈痛な激情に貫かれたメリメ(1803-1870)の最高傑作。」

「激情」というのは、ひょっとするとここにヒントを得られた題名だったのかもしれません。語り手である「私」の考古学者が旅の途上で出会ったドン・ホセから聞いたという形で、ドン・ホセ自身の語りとして物語は進んでいきます。まさに、ホセが感じ取ったまま、見たままが文章で描写されていきます。

完璧に珠城りょうさんで再現される頭の中の映像。「アメリカに行こう」と言うもののカルメンに断られた後、最終の最後にホセはこう語るのです。

「私は女の足もとに身を投げ出しました。女の手をとり、自分の涙でそれをぬらしました。一緒に過ごした幸福の日々の数々を、一つ一つ、思い出させようとしました。お前の気がすむならば、いつまでも山賊でいよう、とさえ言いました。すべてを、そうです、すべてを、私はこの女にすべてを提供しました。ただ一つ、これからも私を愛してくれるならば!

出典:「カルメン」プロスペル・メリメ、杉捷夫訳、岩波文庫 1929年

 

原作ではその願いは、カルメンの激しい否定によって、断ち切られます。原作のカルメンは「お前さんと一緒に暮らすことは、まっぴらさ」「だめ!だめ!だめ!」、そう叫んでカルメンは、ホセからの指輪を抜き取って投げ捨てるのです・・。

舞台以上に息が詰まるようなホセの絶望。そして、ホセはカルメンを殺めます。

原作では彼は自ら土を堀り、カルメンを埋葬します。実はここが泣けるところですが、その時に必死でカルメンが投げ捨てた指輪を探し、指輪と小さな十字架とともに埋めるのです。彼は自分の激情をカルメンのなきがらとともに葬、自首します。

彼の恋は終わり、彼の人生も終わる。カルメンへの愛は彼のすべてになっていったことがわかる、誰にもどうしようもできない激情だったのです。

 

3.理由はありませんでした

愛の終わりとともに人生を終えてしまうほどの激しい恋。そこに理由は必要でしょうか?

原作「カルメン」を読んで一番よくわかったのは、そこに「理由などない」ということでした。原作では、ホセは近づいてはいけないとわかっているのに、彼はカルメンに会いたい一心で、何度も必死でカルメンを町中、探すのです。いつもいつも。

 

実は、「激情」を観ていた私達に起こったのも同じことだったのだと、ようやくわかりました。

私だけでなく、全国ツアーの各地で、多くの方が珠城りょうさんの青臭くまっすぐで必死なホセにどうしようもなく惹かれたと思います。

私はそこに理由を探そうとしました。しかし、それは間違いだったとようやくわかりました。はなから「理由などない」。ホセと同じだったのです。

激情に駆られてどうしようもなくなったホセ。そのホセを観て、同じく激情に駆り立てられたのは観客席の私達でした。

そして、それだけのほとばしるような情熱と必死さを舞台から放ってこられた珠城りょうさん。激情を引き出すカルメンを演じた愛希れいかさん、見守りつつガルシアをも演じた凪七瑠海さん、原作にも登場するダンカイレとレメンダーレを演じた輝月ゆうまさんと宇月颯さん、月組の皆様に改めて敬意を表したいと思います。また、今作品で名前を認識した夢奈瑠音さん、ジプシーの一員だったと思うのですが見事な動きでいらっしゃったと思います。

千秋楽の映像は本当にごくごく一部の断片的な場面であり、理由もなくどうしようもなく恋に堕ち、どうしようもなく愛がすれ違い、どうしようもなくカルメンを葬ったホセとその運命の”流れ行く様”は、ぜひ通しで映像にてご覧ください。この作品は流れにこそ、意味があるのだと思います。

 

4.柴田侑宏先生の脚本の見事さ、謝先生の振付の美しさ

原作ではホセの老母は生きており、「私」に銀のメダルを託すのです。「死んだ」と伝えてほしいと、しかし「なぜ死んだのかはおっしゃらないでください」とホセは頼むのです。

そして、ここが柴田先生による重要な創作ですが、原作にはミカエラは出てきません。こうあるだけです。

「その頃私はまだほんのうぶでした。いつでも故郷のことばかり考えておりました。青いスカートをつけて、あんだ髪を肩まで垂らしてる娘よりほかには、きれいな女はいないものと思っていたのです。」

出典:「カルメン」プロスペル・メリメ、杉捷夫訳、岩波文庫 1929年

 

これは訳者により、「ナヴァール及びバスク諸県の百姓娘の普通の身じまい。」と注釈が入っています。

わずかなこの描写から、柴田先生がミカエラを創作しホセの許婚とされたことにより、舞台の1時間半の展開が見事な対立構造を持って私達に迫ってきます。

光から闇へと堕ちていくホセ、ミカエラの手にすがれば光の世界におそらく戻れるだろうに。彼にみえる一筋の光はいつしかカルメンだけになってしまう、それは光ではないのに。しかも、カルメンにはその違いが見えています。その悲劇。

原作でもカルメンはこう叫びます。「私の願っていることはね、だれからも文句を言われないで、自分の好きなことをしていることさ。」

火のように激しく、時に愛情をたっぷりとくれて、しかしいつも姿を消して誰か他の男のものになってしまう。利用するために装うこともあれば、闘牛士に惚れてしまうこともあります。原作はより激しく、様々な犯罪の要素が強い女性です。

しかし、舞台のカルメンは柴田先生の手によって愛のすれ違い、ジプシーとしての誇りと自由を愛する姿へと昇華され、最後、これも謝先生の美しい振付により、大輪のばらの花びらが散るかのように、刺されたカルメンは崩れ落ちます。

ぎりぎりのところまで粗野で激しいカルメン、しかしあくまで美しいカルメン。そして鮮烈なエロティシズムに溢れながらも美しいラブシーン。さすが、宝塚歌劇団の「カルメン」です。まさに圧倒される舞台でした。

 

ということで、皆さま、ようやくわかりました。「理由はない、ただただ激情に駆り立てられた。ホセと同じように」。それが答えでした。そして、それをもたらしたのは、やはりこの若さで演じられたが故の珠城りょうさんの一途で切ないホセだったと思います。

 

つい先ほどまで、我が家のリビングでは「クリスタル・タカラヅカ」を上演。

たまちゃんがね、薄紫色のスーツでせり上がってきて、「たとえば君が今、微笑みくれるだけでいい。今すぐこのまま駆け出していく。」と歌っておられました。

毎回、ここで「ほんまに?!それだけで来てくれるの?!」と叫ぶのが恒例です。いやぁ、まぁ、恋って恐ろしいものですね・・。風邪の身ですので、もう寝ようと思います(^^)。おやすみなさい。