代取マザー、時々おとめ

宝塚の観劇感想メインのブログ。たまたま代取(代表取締役)になったワーキングマザーの日々と哲学。時々呟きます。@miyakogu5

父親を亡くしたすべての女子の皆さまへ 生と死の境目とはどこなのでしょうか?

皆さま、こんにちは。お元気ですか?本日は少し真面目に考えたいことがあるのです。

 

1.お弁当男子だった父

明日は私の父親の13回忌が実家で営まれます。父の命日は奇しくも真風涼帆さんのお誕生日と同じ日なのですが、家族やお寺さんの都合により、今回は少し早めに。

私の実家の周辺は宗教的な行事が色濃く残るエリアで、33回忌や50回忌を行う習慣がまだあります。ただ、人の悲しみや記憶が薄れていくかのように、法要の間隔は伸びていくのですね。49日、1年、3年、7年、そして13年、33年、ラストは50年で仕上げです。

親友の指摘によると、私はかなりのファザコン。大学生の時も社会人の時も、単身赴任の父親と二人で住んでいたことがあり、友人達からは「お父さんと二人で同居なんて、信じられない!」とよく言われたものです。

 

父親はね、すごい人でしたね。今から考えると。

私がただいま、日々四苦八苦しているお弁当づくり。そういえば、単身赴任経験が長かった父は自分でお弁当をつくり、ほぼ毎日、持参していました。なんと「お弁当男子」のはしり中のはしりだったのです、50代後半で。

当時の社会では、大変珍しく女性上司の下で勤務した経験があり、男女の能力というものに、とてもフラットな考えの持ち主でした。従兄弟の一人が同じ職場だった時期があるのですが、「おじさんは、すごいんだぜ」と教えてもらったことがあります。

同居していた当時、金融業界に身を置き、やたらと帰宅が遅かった私のために、夜ご飯もちーーんと置いてありました、テーブルの上に・・。今から考えると、本当にありがたいことですが、ろくすっぽ恩も感じずに・・。いやほんと、誰に謝ったらいいのか、今となってはわからないくらい、申し訳ない話です。

 

2.死に目に

そんな父は、診断がついた時点では癌のステージ4。忘れもしません。明日がうちの30周年のパーティの前日にその電話はあり、「余命1ヶ月」との連絡が入りました。最初聞いた時はもちろん「はぁ??」です。呆然とし過ぎて。

少し前に父が貧血になり、皆が心配してGWに集まり、日本酒が好きだった父はご機嫌で、日本酒のビンの蓋をぽんぽんと叩いてしめながら、「今生の別れの酒じゃ」と笑っていました。そして、本当にその通りになったのです。貧血になったのは、消化液を分泌するすい臓が癌のために機能していなかったからです。

 

亡くなった朝は海の日の3連休の初日。平日の前の夜に実家に戻っておけば、父の死に目に間に合ったはずでした。しかし、3連休初日の早朝に父は亡くなりました。「ご先祖さんがお迎えに来はったから」と本人が予言していた日付より1日早くです。

私はとっさに「おかしい!」と思いました。父が私を裏切るはずがないのです。年末などの帰省の際にはいつでも、「どんなに遅くても迎えに行くから、今日、帰ってきなさい」と言うような人です。私達子どもが死に目に間に合わないような時間帯に行くはずがないと、私は頑なに思いました。

 

3.死とは何でしょうか?

旦那はんの運転する車で実家に移動する道々、私は理系の研究者である旦那はんに車の中で問い詰めたのです。

「死んでなお、お髭だって伸びるっていうやん。それなら、お父さんはまだ生きてるはずじゃないの?今は生と死の境目にいるんじゃないの?」

旦那はんは多分、困ったなぁと思いつつ、「そうかもしれないね」と言ってくれたのが救いでした。

以前の記事に書いたこともありますが、到着した後、死後硬直でしょう、父のまぶたは上がり、あたかも私達の到着を待っていたかのように目が開き、私の中では「間に合った」ことになっているのです。

 

そして、後日談。

先日、私はある仕事で、ある分野の第一人者でいらっしゃる著名な医学者の方にインタビューを行いました。話の中で最新の細胞に関する研究成果の一つとして、脳にいちいち反応を送り脳が全てを判断しているとは思えない、細胞は細胞で一つの意識のようなものがあり、判断しているのではないか、というあるトピックスに話題が移りました。

その時、私は先生に訴えたのです。

私は父を亡くしているが、死に目には間に合わなかったこと、でも、お髭が死後も伸びるというなら、父の身体の一部はやはり生きていたのではないかということを。

先生は困っておられました。そりゃそうです。お医者様ですもの。そして、心臓が止まり呼吸が止まれば、それはやはり死ですとおっしゃた後、「どこか身体の一部、ある部分の細胞は喜んでいたかもしれないね」と続けてくださいました。ありがとうございます・・、よよよ(涙)。困らせてすいませんでした・・。

 

そして、1点。今でもよくわからないことが一つあります。

亡くなる前夜のこと、洗濯ものを干していた時のことです。後ろをさっと何かの気配が通り過ぎたような感覚が確かにあり、私はさっと後ろを振り向きました。もちろん、何もありません。もともと私は霊感は皆無。旅先の治安面への警戒は別として、いわゆる不気味な場所の察知能力も全くなしの人間です。

あれは父だったのだろうか?と今でも時々思います。もう少し言えば、父の意識が飛ばされた何かであったのだろうかと。

人間の脳を動かすためにはエネルギーが必要です。それなら、考えた結果生まれた意識にもエネルギーがあるはずで、そうであれば、父が亡くなる前に強い意識を持って娘に会いに来てくれたというのは十分にありえる話ではないかと、どこかで信じたく思うのですね。

 

お父様がご健在でいらっしゃる方はぜひ、今の間に、時々食事をしたり話をしていただけたらと、深い後悔を込めてご提案申し上げます。宝塚観劇でもいいかもしれませんね(^^)。ということを、客観的に何かの形で人に伝えることができるのには、やはり時間を要しました。喪失の経験は、自覚している以上に大きな何かを残すものなのかもしれません。そしてその経験の有無は、舞台から受け取るものの大小にも影響を及ぼしているように思います。

 

うん、たまには真面目に書いておかないとね、昨夜の「ひも~になりた~~い」(珠城りょうさんのサスペンダーの)の記事を読んだ娘から「大丈夫か、この人?」といよいよ疑いを持たれていますのでね・・(^^)。