代取マザー、時々おとめ

宝塚の観劇感想メインのブログ。たまたま代取(代表取締役)になったワーキングマザーの日々と哲学。朝夏まなとさんご卒業によるロス真っ只中。しばらくはtwitterにて(@miyakogu5)

宝塚雪組・梅芸「ドン・ジュアン」 感想1 原作、生田先生、望海風斗さん、そして雪組の奇跡の出会い

皆さま、こんばんは。梅田芸術劇場から帰ってきました。7月4日18時半の梅田芸術劇場 シアタードラマシティにおける宝塚歌劇団雪組「ドン・ジュアン」の観劇感想をお届けします!

まず、大奮闘の雪組の皆さまと、チケットをお回しいただきました方へ感謝を。この感情がほとばしる公演をシアタードラマシティという小規模な劇場で観ることができたこと、感謝申し上げます。

 

1.原作の大いなる力と生田先生の卓見

公演パンフレットにおける生田大和先生の「愛に、呪われた男」と題したご挨拶からは、原作の作詞・作曲家であるフェリックス・グレイ氏、フランス側スタッフとの度重なる調整のもと、原作に忠実に「最低限の潤色を加える事となった」とあります。

フランス版のミュージカルを拝見していないため、どこがどの程度、生田先生の潤色によるのかは判断がつかないのですが、今公演は圧倒的な力を持つ原作を宝塚歌劇団の雪組で、しかも望海風斗さんの主演作とすることにした、おそらくは生田先生の卓見に感服いたしました。

その時点で、既に成功はある程度、約束されていたと思います。

 

今作品はそもそも原作の楽曲、歌詞、人物造型、ダンス(おそらくダンスについてはダンス・パートの割当や構成で、振り付けは宝塚歌劇団オリジナルと推察いたします)そのものに、大変、力のある作品だと私は感服いたしました。原作の力が非常に大きいのです。

生田先生が以下のように書いておられます。

フランス産ミュージカルの特徴と言えば第一に楽曲の流麗さであり、その楽曲にのせられて伝えられる物語は脇筋を極力排したシンプルさを身上とし、・・」

(出典:生田大和「愛に、呪われた男」、宝塚劇団「ドン・ジュアン」公演パンフレットより)

 

私が今作品を見ながら一番思い浮かべたのは、二度目の宝塚観劇で衝撃を受けた星組・柚希礼音さん主演の「ロミオとジュリエット」です。

物語の筋はシンプルに、一つ一つの点が、物語の終焉に向かってまっすぐに、流れるような音楽に乗せて一つの点に収束されていく。フレンチ・ミュージカルはそういう面があるように思います。

私が20代で観たロンドンでのミュージカルの場合、お気づきの方も多いと思いますが、多くの場合、俗物めいた人物が登場し、素敵とは言い難い風貌のやや年配の男女が、いやらしい程の演技力と歌唱力で舞台に何らかの対立構図をつくることが多いように思うのです。

しかし、フレンチ・ミュージカルは、対立関係にある人も美しく、すべての登場人物がまるでその世界を生きる舞台俳優であるかのように、愛と喜び、憎しみと絶望を歌い、ある一点へと大きなうねりをつくっていく。そういう特徴があるかのように感じています。

今作品もそうでした。観客席の私達は息を潜めて、その愛と喜びと憎しみと絶望が流れ行く様を、その流れがどこにたどりつくのかを、見守るしかない。そういう息をつかせぬような作品であり、流れるような音楽と力がみなぎるダンスがその勢いを終焉に向けて張り詰めるように盛り上げていくのです。

私達は観客でありながら、舞台の上で流れていく運命の目撃者としての役割を担っている。同時に、雪組のこのチームが今作品を創り上げていく、二重の意味の目撃者でもあるのです。優れた舞台は、そういう要素を持っていると思います。

 

2.作品運とは何か?

「○○さんは作品運に恵まれている」、「たまたま運が良かっただけだ」という言い方を時々、読んだり聞いたりします。

「たまたま運が良かった」というのは当事者がある種の怖れを持って口にすべきものであり、傍観者がそういったことを口にするのは、運と才能への怖れを知らない無邪気さの表れだと、私は時々、思います。

 

望海風斗さんは、今作品に出会うべくして出会われたというべきでしょう。早霧せいなさんが、ルパン3世に、晴興に、そして剣心に出会ったと同じように。そして、最近のそれが続けて雪組であることに私は震撼とした思いを持つのです。加えるなら、月組の珠城りょうさんもそういう方だと思います。

「この人にこういう作品を宛てたい」、「この人でこういう作品を観てみたい」、「この人ならこれができそうだ」という期待は、「この人」に対してしかかけられません。

そして、その結果、「やっぱり、思ったとおりだ!」と思われるか、「どうかとは思っていたけれど、やっぱりこの程度か」と思われるか、それは「この人」が込めた思いと実力によって大きく分かれることになるのです。

仮に実力が不足していたとしても有無を言わさないような圧倒的な情熱によって、あるいは実力もあり情熱もあるその人によって。

望海風斗さんのすごさは、歌唱力の十二分すぎるほどの実力の上に、十二分すぎるほどの情熱を重ねてこられる、その”過剰さ”にあると私は思います。過剰なほどの感情の表出の厚み。

本日の舞台は、その過剰な厚みが十二分に伝わってくるものでした。

そして、優れた原作の楽曲と望海風斗さんの過剰なほどの情熱と感情のほとばしりが、舞台の演者すべてに同様のほとばしりと熱を巻き起こし、それは観客席にも及ぶものであったのだと思います。

 

長くなりそうですので、いったんお風呂! その2へと続けますね。あ、娘には本日、観劇してきたことはまだばれてませんよ。明日にはばれそう・・。