代取マザー、時々おとめ

宝塚の観劇感想メインのブログ。たまたま代取(代表取締役)になったワーキングマザーの日々と哲学。twitterは@miyakogu5。

宙組・エリザベート Bパターン感想1 朝夏まなとさんの余裕の帝王、蒼羽りくさんルドルフの青さ

皆さま、こんにちは。本日は宝塚大劇場にて、宙組さんによる宝塚歌劇団「エリザベート」2016年版、2回目の観劇でした。本日は蒼羽りくさんのルドルフ、Bパターンでした。

 (桜木みなとさんルドルフのCパターン、澄輝さやとさんのAパターンの感想はこちらです。よろしければどうぞ!)

mothercoenote.hatenablog.com

 

1.朝夏まなとさんの余裕の帝王ぶり

本日の朝夏まなとさん=まぁ様は、落ち着いた余裕と確信を感じさせるトートでした。

火曜日に中学生娘達2人が観劇し、まぁ様トートの苦悩と恋心に涙したのです。超絶涙もろい私と違い、普段、観劇時にほとんど泣かない娘がまぁ様トートの昇天の場面で、恋がかないエリザベートの手にキスするまぁ様にまさかの号泣。中学生娘達をきゅんきゅんさせる「恋するトート」だった模様です。

今日のまぁ様のトートは、「この感情は何なのか」「なぜこの少女を手に入れられないのか」を苦悩しつつも、どういうわけか、最後にシシィは自分のもとに来るのだと確信を感じさせるトートでした。

もともと、トートは生きることに苦悩するシシィの心の中に生まれた「死への憧憬」のように見えます。だからなのか、人がいつかは死ぬことを知っているからか「自分のもとに来る」と確信を持っているトートに見えました。

舞台は不思議ですね。今日の午後公演でも多分、また違うように見える可能性もあります。本日、11時公演で私が受け止めたのはそういうトートでした。

棺の上に長い脚を出して座るトート。彼はルドルフを失ったシシィが絶望の涙にくれつつも、ふと自分に気づくのを知っている。だから待っている。しかも黒い長い髪を左手で撫でながら。

あのねぇ・・・。今回のまぁ様トートの手の動きはねぇ・・。

一言で言うとね・・、エロ!!

ああ、だめだわ、もっと文学的な美しい表現をしなくては。がんばれ、miyakogu!

手を随所でゆっくりと丁寧に動かしておられるのですが、おそらくは指の繊細でいて微妙、かつ緩慢な動きが、官能的な美しさを出しているのだと思います。

まぁ様は、背がお高くていらっしゃるわりに、意外にきゃしゃで小さな手をされているように拝見しています。その中性的な手が非常に美しく効果的に使われていると思われる今作品です。

そして、「最後のダンス」の場面のロックスターの帝王ぶりな!

あそこ、ペンライトかタオルで観客席が一緒に参加したくなるほどの迫力でした。ロックスターの迫力、ぜひご確認ください。

 

2.蒼羽りくさんルドルフの青さ

蒼羽りくさんのルドルフは、宮廷育ちの世間知らずだけれど、外の世界の知識だけはあり、高い理想を持っていて、しかしそれを画策するだけの腹黒さに決定的に欠けている青い皇太子に見えました。そう感じさせるだけの力があるお芝居を見せてくださったということです。

ルドルフが持っている本質的な部分での優しさと弱さが、伝わってくる演技でした。フランツも若き頃、同様の面を持っていたはずなのですね。「名君と言われたい」と若きフランツは歌っています。その思いのままに行動したルドルフ。行動しなかった(できなかった)フランツ。二人は本当は似ているように思わせたりくさんの演技でした。

りくさんのお歌は、確かにやや不安定な箇所がありました。しかし、私は彼女のお芝居、優しく暖かな時に切ないセリフの声、鮮やかなダンスが好きです。バレエをずっと習っている娘によると、アチチュード・ターンぽい振付の動きがとても綺麗だそうです(綺麗に見せるのは難しい動きとのこと)。

「相続人の肖像」のハロルド役で見せられたような、柔らかで優しげなセリフの声を活かしたお役を今後とも、期待いたします。彼女が本来もっておられる人の良さが出ているように勝手に思うのですね。おばちゃん、楽しみにしてるわな。

 

3.宙組の皆様のレベルアップ感

・実咲凜音さんのエリザベート

みりおんさんは安定した歌唱力で、聴いている方も「エリザベート」の世界にすっと入り込めます。本日一番だなと思った場面は、医師に扮してやってきたトート対決する場面。「違うわ!!」とトートを拒絶するのですが、その声の迫力

身体が極端なダイエットのために弱り、フランツの裏切り写真を見せられ、心身ともに追い詰められているのに、「私は私の思うとおりに生きる」という最後の力をふりしぼるかのような大きな声でした。

一方、ルドルフの葬儀の場面、「ルドルフ、どこなの」と静かに澄んだ声で歌い始めるみりおんさんの歌唱が私は好きです。絶望の中で、静かに表出されていく悲しみ。王族ですから家族の間の関係性は異なるとはいえ、突然の肉親の死とはむしろそういうもののように思うからです。

私は以前、父の死について記事を書きましたが、実は葬儀では一度も泣きませんでした。むしろ数ヶ月後、一人でランチを食べながらごーごーと初めて泣きました(また書きます)。それくらい、哀しみは心の奥深くに潜り込み、表出するには時間を要しました。

ただ、演劇としては、他の場面も含めてですが、哀しみのあまり狂乱するかのような、シシィの魂と直接触れ合うかのような演技を期待される方もおられて当然だと思います。そういう方にとっては、物足りない面があるかもしれません。感想はいろいろあって当然だと私は思います。

 

・純矢ちとせさんのゾフィー

ゾフィーが怖くなってた!!「冷静に冷酷に」も「顔は洗ったの?」も。「エリザベート」におけるゾフィーは現実世界におけるシシィへの圧迫の最大の理由であり、要だと思います。ゾフィーが怖いほど、死の世界が美しく見えるのではないかと。眉の上がり方が怖い。ええ感じです。

  

・真風涼帆さんのフランツ

かわいいわぁ、青年皇帝フランツ。(真風さんには盲目)

「急すぎるね」とか言って、少しためらったり目を伏せたり。前髪を乱してガウンでシシィに「扉を開けてくれ」ってすがったり。

晩年の姿を経た後の最終答弁で、再び青年皇帝で登場する真風さんの美しさたるや!!いや、国を治められるで、あんた、その美貌で!!という姿です。美貌が役に立つことに気づくべきやったんちゃう?フランツこそ。(真風さんには贔屓目ばりばり)

が・ん・ぷ・く!!そして、歌がね。ほんとに良くなられて(感涙)。

生田先生が以前にインタビューでスターさんの歌唱の最後の音の「母音」をその人の得意なもので考えるとおっしゃっていて驚きましたが、真風さんは「おーー」がとても良く響くお声だと思います。

 

(次に続くよ!)

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