代取マザー、時々おとめ

宝塚の観劇感想メインのブログ。たまたま代取(代表取締役)になったワーキングマザーの日々と哲学。時々呟きます。@miyakogu5

働き女子の皆さまへ 子どもの病気時のワーキングマザーの気兼ねが切ないですね・・

皆さま、こんばんは。

とても身近で、お子さんの長引く風邪がちょっと心配そうなワーキングマザーがおられて、そばで見ていて切なくなってしまいます・・。

早退するにも気兼ねして。「申し訳ないです」ってなってしまうんですよね・・。

「気兼ねしなくていいから」って、こちらがたとえ声がけしても、してしまうだろうし、責任感の強い働き女子であればあるほど・・。

でも、(仮にあなたがいなくても)「大丈夫だって」と言い過ぎると多分、自分が必要な人材じゃないんだと思ってしまうだろう若さや自負。それもとてもよくわかるのです。

 

あのね、おばちゃんらな、乗り越えてきたケースがもろもろすぎるやん?

だから、ほんっと、お仕事人生において、たかだか半日の早退、1日・2日の休み、1ヶ月の中断、1年のお休みがあろうと、今から振り返ったら、たいしたことないわ!ってわかるのです。

ですが、今まさに渦中にいるまだ若い新米ワーキングマザーには、そんなおばちゃんならではの経験も悟りもなくて当たり前。落ち込んだりするんだろうなぁ、熱が上がりませんようにと考えてしまうんだろうなぁと、ひしひしとよくわかる。

子どもが熱を出すのも、鼻をたれるのも、普通に身体が戦う力があるからで本当は喜ぶべきことなんだけれど。

ほんの少しばかり、周りの人にちょっとずつお仕事を回しているかもしれないけれど、自分もいつか助ける方に回れたら、それでいいじゃない?

いつも助ける方にばかり、いつも「大丈夫です」って言う側にばかり、立ち続けることはしなくていい。私はそう思います。

 

でも、よくわかるんです。

私は幼少期からずっと「大丈夫」な方の人間だったから。そういう人間はとてもとてもとても、人に頼るのが下手なんです。よぉく知ってる。自分のことだから。

でもね、小さな子どもがいて、大丈夫なわけないやん?

 

私の場合は、実家の母、義理の母、保育園、ベビーシッターさん、会社のアシスタントの子達、保育園の門限ぎりぎりに互いに子どもを連れて帰った保育園ママ達、小学校の同級生ママさん、娘の習い事の教室の大人の皆さんという多くの方に、それぞれ、少しずつ、あるいは一杯助けてもらいました。人に頼るのがとてもとても下手だったのに、いつの間にか・・。人間、変わるもんです。

いつかどこかで誰かに恩返しができたら、それでいいじゃない?その人に返せなくても、誰か次の人に渡すことができたら。

原始の時代から、贈り物ってそういうものではなかったかと思うのです。自分にとっては当たり前にふんだんにあるけれど、相手にとっては貴重な何か。そういうものの交換の喜び。贈る側にも、その喜びは確実にあるのですね。

 

うちの中学娘が以前、大好きなジェンヌさんの入り待ちに行くのがぎりぎりになりそうで、電車の中で焦っていた時のことです。ふっと席を譲った方がいいのかな?という方がいて、立ち上がりそうになったとき、同じくお隣のとても素敵な初老の女性が立ちかけ、それがきっかけで二人はお話をしたそうです。つばの広い帽子をかぶったとてもおしゃれな方。

娘が「時間が間に合わないかもしれなくて、焦ってるんです」とお伝えしたところ、宝塚ホテルで何かの講師に行かれるらしいとても素敵なその方は、娘になぜか自分が中学生の頃のある苦労話を少しされた後、こうおっしゃったそうです。

「私はね、今ではもう、時間がたっぷりあるの。だから、あなたに私の時間を分けてあげるわね。だから、あなたはきっと間に合うわ。」

そう微笑んで、優雅に宝塚南口で降りれていかれたそう。

 

もちろん世の中にはいろいろなワーキングマザーがいて、当たり前ですから!という態度にいらいらされることも、あると思います。それもよくわかる。私は割と遅くまで独身だったから。

でも、差し伸べられた手や気持ちがあるなら、すっとその手と気持ちを受け取ってみる。そういうことも一つの”技術”だと私は思います。

この記事が、どなたか一人でもワーキングマザーの気兼ねを、ほんの少しでも軽くできたら幸いです。

 

正直言うとな、おばちゃん、そんな可愛らしい気兼ね、とうの昔に忘れてしもてんよ!!

ひょっとすると、脂肪と引き換えに無くしたのかしら? この脂肪がきっと私の中の繊細な心を守っているのね、そう安堵する(?)miyakoguです(^^)。