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代取マザー、時々おとめ

宝塚の観劇感想。たまたま代取(代表取締役)になったワーキングマザーの日々と哲学。

真風さんの叶わなかった夢とは何だったのだろう・・ 宝塚歌劇団宙組・真風涼帆さんに感じる「寂しさ」の変化と魅力

真風涼帆さん 父のこと

皆さま、こんにちは。年賀状を書かないといけないのですが、miyakogu、つらつらと考えていることがあり、それを先に書きたいと思うのです。娘、晩御飯はこのコロッケを食べながらちょっと待ってて。長いから。

 

1.真風さんの叶わなかった夢

2週間前の週末、私と中学生娘は鹿児島まで宝塚歌劇団・宙組さん全国ツアーの前楽・千秋楽を観劇に行っておりました。その時、帰りの空港と飛行機で宙組さんにまさかの遭遇、空港で真風さんを間近で拝見いたしました。(あくまで、そっとね!)

その前にtwitterで、真風さんと朝夏まなとさんの宙組さんチームが、真風さんの母校を含めて、熊本で学校訪問をされたこと、学校にメッセージをお寄せになったこと、ご挨拶をされたことを拝見しておりました。

そして、スカイステージのタカラヅカ・ニュース総集編にて、真風さんが母校を訪問された様子、ご挨拶をされた内容を拝見いたしました。

その上で、拝見した23日お昼の「タカラヅカ・スペシャル2016」の中継での真風さんです。

 

私が一番最初に真風さんを拝見したのは星組「ロミオとジュリエット」での「死」です。二度目の宝塚歌劇団の観劇でした。

黒い衣装に身を包み、シルバーグレイの長い髪をばさっーーと揺らめかせながら、長い手足を伸ばし、ヴェローナの不幸に哄笑し、壁伝いにすっと存在し、強いまなざしをきらめかせ、時にきょとんと変幻自在に舞台に消えては現れる「死」。

それは恐ろしいほどのパフォーマンスでした。

 

「この人、いったい誰?!」と、慌てて幕間にパンフレットを買いに行ったことを覚えています。私は若い頃、短い間ですがロンドンに仕事で住んでおり、熱狂的な舞台ファンではなくても、宝塚観劇以前にミュージカルやバレエ等、それなりに舞台は観ていたと思います。

でも、あのようなパフォーマンスは、それまでどこにも見たことがありませんでした。容姿を含めて、そのような不思議な美しさを見たことがなかったのです。この人は宝塚歌劇団という枠を超えていく人ではないか?とそう思いました。

しかし、星組の過去作品をDVDやスカイステージで拝見してみると、少しほんわかした、背が高く端整であるものの、歌唱が少し頼りなげな可愛らしい下級生さんがそこにいて、あれれ?と思ったものです。

抜擢に応えようと必死そうで一生懸命な背が高い方。ただ、時々出てくるダルマ姿では、恐ろしいほど長くてまっすぐな脚をされていて、なんと美しい骨格だろうと見とれました。

その後、真風さんが宙組に組替えになられ、おおらかで明朗そうな朝夏まなとさんのもと、星組から来た上級生さんだ!という周囲の期待の目もある中で、多様な個性と魅力を一層明確に発揮されていると、その順調なご成長ぶりをとても嬉しく拝見していました。

 

その変化の最中で起こった熊本での地震です。

熊本での学校訪問でご挨拶された「叶った夢、叶いつつある夢、叶わなかった夢」。浅いファンとはいえ、真風さんを拝見していて、最初の2つは何となくわかります。

でも、真風さんの「叶わなかった夢」とは何だろう?そう思いました。

あのように美しい容姿を持ち、舞台での色気を発揮し、順調に宝塚人生の階段を上がっておられるように見える真風さん。でも、「叶わなかった」と過去形で語られた夢がある・・。その事実には、心のどこかを切なくぎゅっと締め付けるようなものがありました。

学校訪問時に寄せられたメッセージにあった「私にできることを一生懸命やることしかありませんが」という一文。いくら、誰かのことを思って心を痛めたとしても、私達はそれぞれに自分の持ち場を離れるわけにはいきません。

真風さんにはおそらく、熊本での地震の直後、すべてを投げ出しても駆けつけたい場所があったはずだと思うのです。でも宝塚にとどまって、TVの前に座り込みながらも、ご自分のやるべきことを全うされた。その切なさが当時、おありになったのではないか。そう私は思います。

 

2.ラモンの歌に感じた「寂しさ」

鹿児島の前楽・千秋楽での真風さんは、色気に加えて、それまで感じたことがないような凄みを出されていたと私は拝見しました。

ラモンとして歌われた「瞳の中の宝石」がとても切なかったのです。

失礼をお許しいただきたいのですが、それまで、私は真風さんには歌唱は大きな期待を寄せず、うっとりとビジュアルを拝見し、素敵な雰囲気を愛でるという見方をしていたと思います。ただただ、うっとりと見ていたい方。

しかし、前楽で聞いた「瞳の中の宝石」は、「歌が上手くなられた!」というところを越えて、「ラモンの切なさを生きている歌」として心に迫るものがあったのです。撃たれた妹への「ローラ!」という叫びにも・・。

ショウでは一人で客席に登場され、星組の下級生さん時代には見たことがないようなファンへのアピール。トップスターに確実に近づいておられるのだと、はっきり伝わってくるお力がありました。

そして、タカスペ。2番手の一人として、後ろで歌っておられるのがおかしいのではないかと思えるような風格と存在感。堂々とした真風さんでした。

 

誠に勝手ながら私は真風さんには今、何か大きな変化がおありになると思うのです。

私が鹿児島の前楽で拝見して感じ取ったのはラモンの「切ない寂しさ」でした。全身に漂う寂しさ。普段は気にもしていないんだ、けれど、というような寂寥感。

そして、空港でお見かけした時にも不思議と私は真風さんから、微かに吹いてくる「寂しさの風」のようなものを受け取ったのです。詳しくは避けますが、お一人で行動されていたのではありません。他の方とご一緒に、にこやかにお土産を選んでおられただけです。素でも圧倒的なオーラのある美しさ、でも、どこかに漂う寂しさ。

そしてタカスペでも、それを感じました。彼女はお元気がないのでもなく、恐らく体調がお悪いとか、そういうものでは決してなく、観ている側を切なくさせる「寂しさ」をまとい始められたではないかと、私は受け止めました。

 

3.切ない寂しさの魅力

あくまで私の勝手な推察です。でも、それは熊本の地震と関係があるのではないかと思います。

私は12年前に父を亡くしました。直後は涙を一つもこぼすことはなく、普通に生活していました。でも、半年ほどたった時のランチタイムのこと。少し前の父の職場と私の会社は最寄り駅が同じでとても近く、「父が生きている間に、ランチを一緒にしたら良かったのになぁ。ここのが美味しいとかお店を紹介しあってね、ふふふ」と何気なく思った途端に、涙が後から後から溢れて、泣きながらランチを食べました。私の中で、父の喪失への哀しみは一旦停止していて、その瞬間に現実のものとして動き始めたのだと思います。そういうものは時を少し置いて、溢れ出るかのように実感されるものだと私は思います。

 

真風さんは、自分に与えられたハードルを確実に一つ一つクリアされてきた方です。おそらく今、直面されているのではないかと私が感じている変化も、きっと舞台に生かされるだろうと、私は切なくも秘かに期待しているのです。

男役としての色気があり、とても美しい真風さん。その方が、凄みを加えて、そしてそこに観ている側の心を落ち着かせない寂しさをまとわれ始めたのだとしたら・・?

心情を伝える歌に、その寂しさが加わってきたのだとしたら・・?

 

それは、舞台の上で凄みのあるとんでもない魅力になるだろうと、私は思います。見に行かないといけない、あの人の寂しさを暖めないといけないのだと、これまで以上に多くの方に思わせるであろう魅力。

舞台の上では色気があり、舞台を降りるとほんわかとしたゆりかさん。その姿を拝見しているだけで、十分にこれまで私達は魅了されてきました。

でも、今、真風さんは内面的に大きく変わられているような気がしてなりません。人の命と運命の「無常」を実感されているのではないかと、私は受け止めています。

それは真風さんの故郷である熊本の地震という「偶然」がもたらしたものではないかと推察します。しかし、あれほどの「死」を踊られた真風さんには、その「偶然」は他の人以上に格段の繊細さを持って受け止められたのではないかと想像するのです。

もちろん、そんな「偶然」はいらない、受け止めるのはとても厳しいことです。繊細でない方がいいこと、鈍感でいられた方がむしろ楽なこと。そういうことはこの世に一杯あります。

でも、舞台の上に生きられる真風さんにとって、この厳しい偶然は、きっと大きな力になるものだと、私は切ない期待を寄せたく思うのです。

次の宙組さん公演はコメディ要素が強い作品であり、真風さんはコメディの間合いが大変お上手です。ただ、「バレンシアの熱い花」のラモンで見せてくださったように、根底に寂しさを抱えた人のコメディこそ、多くの人に訴えかける力があり、それは単なるコメディを越えて人生のペーソスへとつながるものになるのではないかと思います。

次の宙組さん公演を、今から楽しみに切なくお待ち申し上げます。

真風さんへの心配と応援と切ない期待を込めて、miyakoguからは以上です。娘よ、晩御飯です。お待たせして、すんません・・。