皆さま、こんばんは。お元気ですか?
明日は宙組・真風涼帆さんのお誕生日。ということは、今年も父の命日が巡ってまいりました。こちらは、娘が昨日のバレエのプチ発表会でいただいたお花です。父のお供えにさせてもらいましたよ(^^)。
7回忌、13回忌と時が巡ると、不思議なことに父を想う気持ちが少しずつ、ふんわりと優しくなっていくように思えます。
最初の数年は、
・もっと早く、癌を発見する手立てがなかっただろうか?
・さらに良い治療方法があったのではないか?
・もっと父のお見舞いに行けたらよかったのに・・
そういう気持ちの方が圧倒的にありました。しかし、「時間のお薬」のおかげで、今ではようやく、ただただ懐かしく父のことを思い出せる。そういう優しい時間を持てるようになった気がいたします。
もしお読みいただいている皆さまの中に、今まさにその時間を必要とされている方がおられたら、ただ時間が過ぎるのをどうぞお待ちください・・。
振り返ってみると、わずか1ヶ月という余命を告げられた父自身が、「思い残すことは何もない」と、きっぱり言い切った人生であったというのは、やはり素晴らしいことだったのだと、今はそう思います。
ふっと何気なく思い出す父の思い出は、いろいろあり、それは思いがけない場所からつながっていくことがあります。
現在、宝塚大劇場で上演されている宝塚歌劇団・月組さんの公演「All for One」に関するインタビューの中で、トップスター・珠城りょうさんのことを体育会系の負けず嫌い魂を持ったトップと、書かれたものがありました。
その記事を読んで、「そういえば・・」と思い出したことがあります。
私は中学から大学までずっと体育会のクラブに属し、真っ黒になって軟式テニスのボールを追って、練習に試合、そういう日々を送っていた時期があります。
高校は田舎の進学校だったため女子が少なく、県大会ではすぐに敗退することが恒例。クラブのメンバーも少なく、本来は弱小チームです。
しかし、私達の学年はどういわけか、たまたま数人、中学で強かったメンバーが集まりました。スコアブックを真剣に分析し、練習メニューを工夫し、ライバル高のレギュラーメンバーの引退時期に照準を合わせた結果、どういうわけか高校2年の秋に県大会で優勝を果たしたのです。(もちろん、大阪のような強豪校がある府県ではありません)
当時。父は「テニスになんか一生懸命になっても、何にもならない。ほどほどにして、そろそろ受験勉強に集中しなさい。」と、時々ですが言いました。そう言われると反発して、絶対にやめません。そういうものです、高校生女子なんてね。
そのことは、遠い記憶の片隅に大切な思い出として置いてはいましたが、社会人になってからはすっかり忘れていました。
田舎のプレッシャーで、お見合いを各方面から勧められていた時期のこと。父と二人で父の知人と食事をしたことがあります。良いお相手があればと、お願いする名目ですね。
父は、娘の良い点を述べなくてはと思ったのか、お見合い紹介を頼む相手への言葉とは思えないようなことを、娘の紹介として述べました。
「この子はリーダーシップがありましてね。高校のときにクラブのキャプテンをしていて、県大会で優勝したんですよ。」
とっさに、「お父さん、それは今、自慢することじゃあ、ないのでは?」と噴き出しそうになったものの、ああ、父は私がそういう少女であったことを、実は誇りに思っていてくれたのか・・、と初めて知ったのでした。
そして、次にこうも言ってくれたのです。
「この子は優しい子でしてね。」
お?ナイス・フォロー??
「小学校の小さい頃に、障がいのある子を、毎日手をつないで家まで送っていったのです。」と。
それは、私自身がすっかり忘れていたことでした。
そう言われれば、確かに。小学校低学年の頃、障がいをお持ちだった同級生のおうちがたまたま自宅と小学校の途中にあり、しっかり者と思われていた私は、当時の先生に頼まれたのか、毎日、その子の手をひいて帰っていたのです。
父は覚えていてくれたのか・・。意外に思いました。
自分自身がすっかり忘れていたこと。おそらく、ただ先生に頼まれたから何となく続けていたこと。それを、父は大切に思っていてくれたのかと。
社会的な経歴ではなく、父が私を説明するために述べたのは、その2点だったのです。男親というのは不思議なものだと痛感しました。
自分自身が忘れている、しかし、確かに私が成したこと。
それを、本人よりちゃんと覚えていてくれる。いつ気に留めていたのか、こちらは全くわからなかったのに・・。ちゃんと見ていてくれていた父。
娘にとって男親というのは、そういう存在なのかもしれないと、改めて思います。そして、いわゆる社会的なことではなく、私が自分の人生で誇っていいのは、実は父が覚えていたようなことなのかもしれないと、今、思います。
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さて、そのお見合いはどうなったでしょう??(^^)
ご紹介いただいた方は立派な方でしたが、残念ながら家に入る話であり、お話は合わず。後に、旦那はんに拾ってもらうまで30代前半を独身で突っ走ることになるのでした。
くだんの旦那はんは、本日、買物をして夕食を用意、後片付けもして、娘の分の食事を取り分けてラップし、ただ今、塾のイベントで遅くなった娘をお迎えに行ってくれましたよ。病み上がりですからね、私は(^^)。
「風邪の喉を冷やす必要があるからさぁ」とのんびりアイスを食べている私を見て、「ほんとに、君は何にもしないねぇ。でも不思議なんだけどさぁ、なぜか腹立たないんだよねぇ。」と呆れています。
ご結婚相手を探している皆さま、ええか?!大阪のおばちゃんから言うておく!世話好きの男性って少数だけれどいるからね。理系研究者の旦那はん、どうも実験対象のお世話をする感覚なのではないかと、若干疑ってもいます(^^)。
皆さまもうまいこと、がんばってね。うん。