皆さま、こんばんは。昨日はヅカ仲間さんと一緒にうちの辛口旦那はんを連れて宙組を観劇、今日は私が単独で観劇でしたので、その感想をお届けします。
本日、私はエドワード・ラジンスキー著「真説ラスプーチン 上・下」(NHK出版、2004年)を読了、時代背景をざざっとですが頭に叩き込んでからの観劇となりました。
1.熱を発し始めた「神々の土地」
初日開けてすぐに観劇した際は、この作品は「熱を秘めた静かな作品」だと私は思いました。
しかし、昨日と本日、観劇して大きな変化を感じました。一つ一つの変化は演技の細部の小さなものです。しかし、その細部の変化こそが舞台に新たな熱を加え、全体として大きなエネルギーを感じる舞台として仕上がってきているように思えました。
当初は、崩れ行くロマノフ王朝を舞台に、破れた信念と秘めた恋を描く絵画的な美しさをたたえた作品なのかと思っていました。
しかし、昨日今日と観劇して、300年にわたって蓄積されてきたロシア皇室への民衆の不満、革命へと向かうボリシェビキや民衆の熱、ラスプーチンに頼る皇后の怨念さえ感じるような思いが、舞台からゆらゆらと立ち上るようになったと感じました。うねりのような熱が、舞台から発せれるようになってきています。
「真説ラスプーチン」を読んでざっとですが把握したのは、ロマノフ王朝300年の歴史の中で積もり積もった怨念、不満、陰謀が一気に崩れ行く時代背景だということです。まさに「たそがれ」の時代。
その流れは、ドミトリー一人の信念でどうこうできるようなものではないのです。たとえ彼がそう強く願ったとしても。歴史のうねりの前では、たった一人の人物の願いなど、あっという間に流されてしまいます。
上記の本を読んでわかったのは、ロマノフ王朝300年分の民衆の不満、正教に追われる中でシベリアに拡散していった異端の宗教への民衆の思い、繰り返された皇族内での権力闘争でした。異端の宗教の一つ、鞭身派では回転しながら皆が踊り、恍惚としたエネルギーが性的な行為へと続く秘儀があったとのこと(ラスプーチンは後にこの派から離れますが、最初はその派に属しています)。
ラスプーチンとは、溜め込まれたロシアの民衆のエネルギーから出てきた歴史の偶然かつ必然の産物なのではないかとさえ思えます。誰か信じられる人を常に必要としていたアレクサンドラ皇后は、実は、ラスプーチンより前にも何人かの預言者のような呪術師のような存在に頼っています。
積年の不満が溢れ出る奔流の中、ドミトリーは必死で現在の皇室を維持する道をオリガとの婚約により見つけようとします。しかし、それを邪魔するかのようにドミトリーが愛している人は他にいると告発するラスプーチン。
心優しい愛情深い父親としてのニコライの問いかけに対して、ドミトリーはうつむき、微笑み、「私はオリガを愛して・・」とまで言いかけたのに。後もう少しで、違う道が開けたかもしれないのに。ロマノフ王朝は滅んでいきます。
この結婚が成立したとして、流れを遅らせることはできたかもしれません。しかし、歴史の流れを止めることはできなかっただろうと、思います。
※上記を本音ベースで訳しますと、
「空気読めや、ラスプーチン!」
「そんなこと、まっすぐに聞かんといて、ニコライ!」
「今、ここにイリナを連れてこんでええやん、近衛騎兵!」という場面です(^^)
2.「神々の土地」の熱を支える細部の変化
私が気づいた細部の変化はたとえば、以下のような場面でした。
上記のニコライからの問いかけに答える場面での、朝夏まなとさんのうつむいた一瞬の微笑み。それは「あの恋を諦める」という一瞬の諦念の後、「これで国を救える」との希望を見出すようでもありました。
また、ニコライ皇帝を廃してという相談をもちかけるマリア皇太后に、「あなたは己が息子を廃して」と詰め寄るまぁ様ドミトリーに対して、「それしか、この国を救う道がないのであれば」と答えるすっしーさんマリア。そのセリフと一瞬の間合いからも、息子への思いと苦悩がより強く感じられるようになっておられたと思います。
酒場で文化を愛する貴族らしいセリフを吐く真風さんフェリックス。初日開けてすぐの観劇時は決められたセリフをきちんと話しているように見えましたが、他場面を含めて、退廃的かつシニカルに時代の流れを見ている大貴族感が出ておられたと思います。
フェリックスの母である純矢さんジナイーダは、わざと混乱を起し、人間関係をあぶりだそうとする明確な意図を持って、イリナを舞踏会に呼び出し、オリガとの結婚を妨害しようとしているように見えました。
彼ら母子は、優れた資質を持つドミトリーをラスプーチンの暗殺しかない道に追い込み、ラスプーチンを倒した英雄として彼を新たな皇帝につけようとしているのです。
まあ、フェリックスの場合、おそらくは、皇女オリガと彼が結婚するのがいやで。嫉妬からですよね、真風さん?おばちゃん、知ってるで! ←格調が急に降下するので、落ち着いてください、miyakoguさん。
そして、ドミトリーとイリナの永遠の別れの場面で、伶美うららさんイリナが結婚する前の名前で呼んだドミトリーに向かって言う「イリナよ」。
初日開けてすぐは、きっぱりと強くだったように記憶しています。でも、今は優しく穏やかに、少年だったドミトリーに話しかけるように・・。
私はこの場面で、朝夏ドミトリーが言うセリフがとても好きです。彼が初めて会った時からイリナを愛し、自分の伯父の妻になる前の「イレーネ」に巡り会いたかったと、ずっと思いを抱えて生きてきたことがわかる場面。
少年から青年期の恋、永遠の憧れの人。私はその青い思いこそが、彼をペルシャに向かう列車から飛び降ろさせた原動力になったと思います。彼の恋は分別ある大人になってからしたものでは「ない」のです。
少年時代に始まり、青春の間、ずっと心にあった恋。その青い慕情は、軍人としての理性をも越える、どうしても譲れないほど強く甘い夢であっただろうと思います。
しかし、翌朝には彼は国を守れなかった軍人にすっと戻り、ペルシャへと旅立っていきます。イリナと初めて会った頃の少年の彼は去り、ドミトリーは分別ある大人に戻るかのようです。そして、遠い異国の地に流されていたことこそが、結果として彼の命を救う。歴史の皮肉です。
3.辛口旦那はんが感嘆した「神々の土地」のうららさん
昨日は16列目、音響が良いポジションにあたるのか、オケがのりのりでいらっしゃったのか、音楽が良く響いて聞こえました。
「神々の土地」が終わってすぐ、うちの辛口旦那はん(オペラファン、潜在的ヅカファン)に印象を尋ねたところ、「いい作品やん、そんなに難しくはなかったよ」とのこと。そして、自ら述べた感想はこちらです。
「伶美うららちゃんって、びっくりするくらい綺麗 やな」と感嘆です。
本日、我が家では鍋をつつきながらの「神々の土地」会議。辛口旦那はん、中学生娘、大阪のおばちゃんの私と全員が観劇を終えていますから、わぁわぁとディスカッションも進みます(^^)。
美貌のお顔だけでなく、首元、腕、全体のフォルムを含めて、伶美うららさんに感嘆する旦那はん。
旦那はん「イリナは気高いやん?」
私「うん、イリナは意思が強い女の人として描かれているよね」
(わかってないなぁ、というため息をつく旦那はん)
旦那はん「気高いというのは、あのオーラのある美を含めて、存在そのものが気高いねん。出てきた瞬間に、他の娘役さんとは明らかに違うオーラがあった。」とのこと。
どうやら男性の目から見て手が届かないような完璧な美を備えてこそ、初めてオーラのある気高さが完成するといいたいようです。なるほど。
4.朝夏まなとさんのご卒業を惜しむ
「クラシカル・ビジュー」のラスト、黒燕尾が素晴らしかったでしょう?!と詰め寄るmiyakoguですが、旦那はんは銀橋でまぁ様が歌われる「宙の太陽」のラストの歌い上げに感嘆。
若い頃から相当、資金を投入してオペラの舞台を劇場で観てきたオペラファンですので、歌にはうるさいのですが、まぁ様のことは「王家に捧ぐ歌」からいつも褒めております。
私と旦那はんは、朝夏まなとさんの繊細な演技と高音がよく伸びる歌声が好きなのですね。
花組時代の映像はあまり存じ上げないのですが、トップになられてからの作品における演技・歌・ダンス・スタイル、すべてがバランスよく揃ったトップスターさんとして、観劇をとても楽しみにしてきた方でした。
今作品の黒燕尾で見せておられる華やかで優雅でいて、儚げで憂いを帯びた中性的な色気のある舞台姿。銀橋での黒燕尾での二度のジャンプは、そのまま空中に消えてしまいそうな軽やかさです。
今夜の我が家の鍋会議では、うちの中学生娘は「だーかーらー、まぁ様は妖精なんやって!」と主張しています(^^)
まぁ様・・・。妖精の時間は限られるのでしょうか?(涙)
黒燕尾で踊り歌うまぁ様を観て泣くmiyakoguについては続きにて・・。