代取マザー、時々おとめ

宝塚の観劇感想メインのブログ。たまたま代取(代表取締役)になったワーキングマザーの日々と哲学。twitterは@miyakogu5。

月組・エリザベート感想3 月組エリザに少しだけ欠けているように思った”ゆがみ” 今後に期待!

では引き続き、昨日、宝塚大劇場で開幕して1週間たった月組「エリザベート」の感想3をお届けします。

これはあくまで、8/31 13時公演を観劇した際に思ったことであり、端整な月組さんの舞台だったからこそ、さらにより進んだものが観られるはずと贅沢にお願いしてしまうことだとご理解ください。日々、舞台は変化していきますのでこれからの変化を楽しみにお待ちしています。

 

「エリザベート」の舞台は、ルキーニが幕を開け、独特の音楽のもと囁くように歌われる「悩み 哀しみ ねたみ 苦しみ 夢と欲望が 人を狂わせる」という曲から登場人物が舞台上に現れます。

ルキーニが観た幻覚のような狂気の世界。登場人物は自覚はなくても、不協和音の音楽が伝えてくるとおり、少しずつどこかゆがんでいます。

孫を取り上げるゾフィーも、母に逆らえないフランツも、家庭から逃げ出すパパも、母の愛を得られないルドルフも、宮廷に出入りするメンバーも、旅を続けてしまうシシィ自身も。そして何よりも死の世界に引き込むこと=愛だと考えるトートこそが。

シシィを取り巻くゆがみが大きくなればなるほどこの世界から逃げ出したいという狂気めいた思いが強まれば強まるほど、シシィが生み出したトートは増殖し、存在を増す。

そのように始まった狂気の物語は、シシィの生が死と結びつくことによってゆがみが解消され、安定した漆黒の中で消えていきます。

私は「エリザベート」とはそういう物語ではないかと考えています。

今回の月組「エリザベート」は、そのゆがみと舞台から観客に放出されるような狂気のエネルギーが、少しだけ欠けているように思えました。ゆがみが少ないとたまるエネルギーは少ないからです。断層のように。

一人一人の登場人物がそこまでゆがんでいるわけでなく、ちゃんとしているのですね。

プロフェッショナルな舞台として完成されているからこその、贅沢な逆説的な感想で申し訳ありません。ちゃんとできていたら本来はそれでいいはずなのです。

ただ、どこか綺麗なよくできた「箱庭」を観ているようでした。箱庭療法でルキーニがつくったような箱庭。ルキーニの狂気の夢を観ているのだとしたら、それで合っているかもしれない。そう思う面も一方ではあります。

舞台は不思議ですね。不思議なゆがんだ世界を覗き込んでみたい、観客側も抱えている狂気の種と響きあう何かを観てみたい、ドキッとしてみたい。そんなふうに思うなんて。

後2回観劇いたします。これから、どのような変化を観られるのか。楽しみにお待ちしておきます!