皆さま、GW前のひと時、お元気ですか?
さて、私にはサラリーマン人生を全うし、かつ詩人という母方の叔父がいます。関西のある大手企業でそれなりのポジションまで勤め、サラリーマンであったと同時に、詩人でもあり続けたという叔父です。
その叔父が、最初の詩集を出したのは今からおよそ40年以上前、叔父が初めて父親になった頃、30歳過ぎだったかと思います。
そして、本日。叔父の5冊目の詩集が届きました。
まだ現役のサラリーマンだった頃、長い沈黙を経て2冊目の詩集を出し、その後、相次いで詩集を出版し、70代後半の今、5冊目の詩集です。まったくもって、かないません・・。
ほぼ自費出版でありながらも、きちんと装丁された叔父の詩集が、紀伊國屋書店で並べてあるのを見かけたことがあります。
5冊も出版された詩集がある・・。これはもう、立派な詩人だなと本当に尊敬いたします。
叔父は長く勤めた企業を退職する際、大学でもないのに「最終講義」と銘打って、社内で最後に講演をしました。その際のビデオがあり、「見せたろ」とにやっと笑って私に見せてくれたことがあります。
ふぅむ。サラリーマンとしての越し方を振り返るのか、若きサラリーマンの後輩に何か役に立つ講演なのか。
叔父はその企業の子会社である研修会社のトップを最後に務めていたため、期待して拝見しました。
すると・・。
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ビデオの中の叔父は、堂々と生き生きと真摯に熱く、金子みすゞさんの詩について語りまくっていました!(・o・)
叔父は宮沢賢治さんの影響を多大に受け、叔父の家の壁一面につくりつけられた本棚には関連する本がぎっしり。その叔父が晩年、出会ったのが金子みすゞさんの詩だったのです。
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積もった雪 金子みすゞ
上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしていて。
下の雪
重かろな。
何百人ものせていて。
中の雪
さみしかろな。
空も地面もみえないで。
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叔父は、「中の雪」に投げかける金子みすゞさんの視線の自在さに驚き、中の雪が「さみしいのではないか」という想像力への驚きを語っていたのでした。そもそも「中の雪」という設定自体、驚くべき視点です。
金子みすゞさんの「大漁」という詩をご存知の方もおられると思います。浜辺では「大羽鰯の大漁だ。」と人々が喜ぶ、しかし、その同じ時、
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海のなかでは
何萬の
鰯のとむらひ
するだろう。
「大漁」金子みすゞより、一部引用
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そう詠む。視線が急に逆転するのです。その視点の置き方の自在さ。
叔父は熱く詩について語りながら、やはり後輩のサラリーマンに送るメッセージをそこに込めたのではないかと、そう思いました。
講演が終わったとき、彼の「最終講義」を聞き終えた方々からの大きな拍手が、そのビデオには収められていました。
叔父にとっての「詩」。
それは、趣味をはるかに超えた存在だったと思います。「詩」は常に彼の心の中にあり、唇から生まれ、書き留められた。若き頃から常に叔父の時間の中に、共にあったもの。
その数々の言葉を収めた5冊の詩集。その中には、叔父の父、すなわち私の母方の祖父が頻繁に登場します。
叔父は父のことを繰り返し繰り返し、詩に書き続けているのです。私も時々、このブログに父のことを書いています。亡くした父の存在というのは、思っている以上に人の心にとって大きいものなのだと痛感します。
それにしても、趣味を超える存在である詩とサラリーマン人生を両立させ、よくぞ全うさせたものだなと、その見事な人生を尊敬いたします。
ですので、私が観劇し仕事をしているのも、そういう血が流れている一族なのだろうということで、ご理解ください。
うん・・。
だから、その、何というか・・。真風涼帆さんの巴里祭、6月に行ってくるね!ええと、まぁ、そういうこと!(^^)
↑ miyakoguさん、結論、そこ?!
はい、そこ(^^)。