代取マザー、時々おとめ

宝塚の観劇感想メインのブログ。たまたま代取(代表取締役)になったワーキングマザーの日々と哲学。twitterは@miyakogu5。

久しぶりの喪服はぱっつぱっつ・・、故郷の言葉で語る義兄の暖かな挨拶に涙でした

皆さま、こんばんは。お元気でしたか?金曜夜、東京出張から戻る新幹線車内のmiyakoguです。

理系の固めのテーマの会合でしたので、女性参加者は私一人。最近の会合では珍しいですが、アラフィフといえども女子。歓待していただきました。ビバ!理系男子です。

私は昔から自分が知らないことを嬉々として解説してくれる理系男子の話を聞くのが好きなのですね。嫁にいけた最大の要因がこれかも。

本当は今日の夜一泊して赤坂ACTシアターで月組「雨に唄えば」観劇したかったところですが、明日もお仕事があるので涙を飲んで帰りますね!残念!でも、先日の北部大阪地震後の被災地域での大切なお仕事です。

 

1.久しぶりの喪服には気を付けて!

さて、本日のテーマは久しぶりの喪服についてです。

皆さまは、喪服、最近いつ着られましたか?私はほぼ7年ほど前。義理の父が亡くなった時です。

姉の嫁ぎ先のお母さまが天寿を全うされ、田舎ですから実家妹としてここは一つと慌ててお通夜に参列することにいたしました。

デパートで購入したきちんとした喪服。まぁまぁなんとかいけるやろ?という目論見が見事に敗れ去ったのは、オフィスで着替えた時のことです(涙)。ぱっつぱっつやーーん!無理やりファスナーを上げられなくもないけれど、これ立ち上がった拍子にびりっていくやつやわ!と嫌な予感しかしません。

これは、いたしかたありません!(-.-)

予定時刻より早く会社を出て、梅田で黒ワンピースを購入して電車に乗ればいいやと計画、だだだと1、2分で服を決定、お店のお姉さんのお勧めどおりにノーカラーの上着もネックレスも決定。決断だけは早い働き女子@アラフィフです。

 

で、実はねぇ、ここで最大のピンチがあったんですよ!!

あまりにかっこわるいのでtwitterには書かなかったのですが、miyakoguはですね、お財布を忘れたんですよ!オフィスに・・。カード一枚でもスマホケースに入っていたら良かったのですが。
いや、ほんまにまいりました。だって、今からオフィスに戻り、お財布を取ってきて再度お店にきてとなるとお通夜に間に合わない可能性大です。ええとこ見せようと思ったのに、ですよ。

めちゃくちゃ困っておりましたところ、窮地に気づいた店長のお姉さまが、いいですよ、お持ちください、私が立て替えますとまさかのご厚意。ほんとにありがとうございました!(感涙)。

決して怪しいものではありませんと名刺を残し、いったん戻った後、新大阪駅までタクシーです。

難しいかなと思ったのですが、私はこういう時、なぜか毎回間に合うのですね(^^)。スマートEXのおかげでチケットレスでホームに2分前にたどり着き、きっちり売店でお茶を買い(必死でのど乾いてますからね)、予定の電車に飛び乗り、車内で着替えお化粧を直しと大変なあたふたぶりでした。走ってますからお化粧ももうめちゃくちゃです。


でも、お通夜の会場につく頃には落ち着きも取り戻し、義兄のお姉さまには颯爽と現れたキャリアウーマンと思われたようでした。

いえ、お姉さま、このワンピースのお金、まだ払ってませんから!

明日払いに行きますから!今時珍しい、いわゆるツケですから!!(T-T)

必死で足をもがいているのに外からはそう見えなかったとしたら、ええとね、ものすごーーーーくちょっぴりですが、ジェンヌさんみたいと一瞬思ったのは事実です。ごめーーーん!あはは(^^)。

久しぶりの喪服。ウエストや胸は意外と大丈夫だったのです。案外きつかったのが、ウエストやや上の背中のお肉と太もも回り。

まったくもって残念ですが、皆さまも久しぶりの喪服にはどうぞお気をつけてくださいね。いやほんまに。

twitterでも皆さまのご経験談で慰めてくださって本当にありがとう!私だけではないと安心しましたよ~。

 

2.義兄の暖かな挨拶に涙、涙

天寿を全うされ、かつご自宅で前日まではっきりとした意識でお過ごしになっていただけに、義兄のお母さまのお通夜は穏やかで和やかでした。

その中で、義兄のお母さまに送るご挨拶がとてもとても素敵でした。

義兄は穏やかなひょうひょうとした方で、私はこの義兄が人間としてとても好きなのです。
私の姉は子どもの頃に負った少し大きめのやけど跡がある箇所にあります。薄着の季節だと少し気になるかもしれないけれど、目立つ場所ではありません。

結婚が決まる前に姉が意を決して伝えたそのやけど跡のことを、義兄はこのように言ってくれたのですね。

「誰だって、そういうところは何かしらあるから」と、まったく意に介さずに。

私はその話を聞いて以来、義兄のことを尊敬しています。同時に、家族は慣れてしまって無意識になっていたけれど、思春期や20代の最初、姉は私たちが気づかないところでとても気にしていたのかもしれないと、何だかとても申し訳ない気持ちになったことを覚えています。

その姉のことを、どうやら嫁ぎ先ではとても尊重してくださっているらしいと気づいたのは結婚後のことでした。しっかりとした賢い嫁と、義兄のお父様が思ってくださっているらしいことは人を介して伝わってきました。

そして、どうやら私の進学先の大学名も少しばかりプラスに働いているらしいということも何となく伝わりました。そんなことが姉の縁談の役に立つとは思っていませんでした。でも、もしそうなら姉の役に立てて嬉しいなと思ったことを覚えています。


義兄のお母さまは明るくて畑仕事が大好きなシンプルな性格の方でした。私たち家族にまで野菜やスイカを持たせてくださったことをよく覚えています。お亡くなりになられる前日まで車いすに乗って畑をご覧になったとのこと。

生前、その方は「私には何も取り柄がないから」と口癖のように言ってらしたと、義兄の挨拶で知りました。そのお母さまのことを義兄は挨拶でこのように話したのです。最後は少し震えた声で。

「そんな母でしたが、家族のために生きた勤勉な母でした」
「皆さまにも、できればその母のことを褒めていただければ、嬉しく思います」と。


日本の文化では、なかなか家族を表立って褒めることはあまりありません。むしろ謙遜のように言うことの方が奥ゆかしいとされてきたと思います。そんな中で、このように話をされた義兄の挨拶はとてもとても素敵でした。

そして、故郷の言葉で聞くその言葉は、不思議なことにずしんとストレートに心に届きました。

どたばと駆け付けたお通夜。駆け付けられて良かったと思います。

ただね、久しぶりの喪服にはほんま、気を付けてや!大阪のおばちゃんから言うておくわね(^^)。