代取マザー、時々おとめ

宝塚の観劇感想メインのブログ。たまたま代取(代表取締役)になったワーキングマザーの日々と哲学。

笹ゆりの麓で真剣に考えた珠城りょうさんの魅力 ひたむきで真摯で無防備なまっすぐな強さ

皆さま、こんにちは。お元気ですか?miyakoguはね、相当弱ってます(-_-;)。

「宝塚GRAPH」の珠城りょうさん表紙とポート、そしてTalk DXにおけるぎゅっと抱き合う”まぁまか”とかに・・。

 

宝塚歌劇団さんにはね、そろそろいい加減にしてほしい!!特にまぁ様にはいろいろ言いたいことがある!(意訳:真風さんがお世話になり、また、毎号毎号、萌えを供給していただき、誠にありがとうございます。)

miyakoguはね、弱ったあげく、免疫力低下でしょうか?ものもらい(麦粒腫。関西では「めばちこ」)なんですよ、左目が、昨日から!!くぅぅぅ・・・。

「原因は主に細菌、ストレスや疲れがたまり、免疫力が落ちている時になりやすい病気」ってありますよ。くぅぅぅ(-_-)。

 

しかし、明日はお休みです。(休日こそお仕事の働き女子の皆様、お疲れ様です。)

あるプロジェクトが一段落した今日、ずっと考え続けてきたことを、いよいよ書きたいと思いますよ。「めばちこ」に負けてる場合じゃないんですよ。この非常事態に!!

非常事態=「激情」DVDお稽古場映像の素でのキスシーン、龍真咲さんの退団ご挨拶の首ふるふる珠ちゃんからの、グランドホテル先行画像のグラス片手持ち、制作発表の首筋キス、監修グッズ、とどめが「宝塚GRAPH」表紙の珠ちゃんです。

 

1.珠城りょうさん監修グッズの「Believe」

先日、発表のありました「珠城りょうさん 1st デザイン監修グッズ」。三日月にちょこんと座る大型犬の後姿にノックアウトされた方も多いと思います。大きくて、かわいらしくて(^^)。

「たたずまいが似ている・・というエピソードから大型犬のシルエット」って、んまぁ、可愛らしいですやんか?特にこの後姿からちょっとくるっと曲がった尻尾がツボ!

ほんまに、そろそろええ加減にしてほしい、珠ちゃんには!おかげでこちらは「めばちこ」です、「めばちこ」。←落ち着いて。仕事のせいでは・・?、miyakoguさん?

しかもね、コメント欄でご指摘いただいたとおり、ついに先日、珠城りょうさんの記事が真風さん記事を上回るという非常事態・・。くぅぅぅ。

 

そんな中、「TCA PRESS 10月号」に掲載された監修グッズの告知を拝見して、何よりも心にずぎゅーーーん!と響いたのは珠城りょうさんの好きな言葉「Believe」でした。

「信じ、信じられる存在になりたい」って・・・。

グッズ、買わせていただくわ!(〃∇〃)。決意する私の横で娘が歌ってくれたのが「王家に捧ぐ歌」からの替え歌です。

「俺は、知ってるぜ~。お前が珠ちゃんグッズ全部買うことを~♪」

くぅぅぅ。図星過ぎて、いやぁーーっ!!(〃∇〃) ←落ち着いて、miyakoguさん。

 

2.珠城りょうさんの魅力の真髄について真剣に考えた

あ、前置きが長すぎましたね。すいません。以下、真面目に語ります。

先日、私は「月雲の皇子」で重要なモチーフに使われた笹ゆりが咲き誇るという三輪山を拝する大神神社にお参りに行きました。その帰り、珠城りょうさんの魅力の真髄とは何なのか?をぐっと真剣に考えました。

今年の3月19日に梅芸で初めて生で観た珠城りょうさんの主演作品「激情」。そこから、名古屋公演観劇、大劇場「NOBUNAGA」、過去映像の見直しと進む中で半年にわたり、ずっと考えてきたことがあります。

ストレートに、珠城りょうさんの魅力とは何なのか?について。

宝塚ファンとしてはごくごく新米のmiyakogu。以下には、いろいろ見当違いもあるとは思いますが、今の私のわかる範囲で率直に書いてみます。

 

私が珠城りょうさんの最大の魅力だと感じ、そして彼女の一番大きな力だと思うのは、舞台に身を投げ出すことができる強さです。

役をまさに生きている、生身の人間として感情を、自身をさらけ出すことができる真摯な激しさ、そして、ひたむきな強さ。

 

りょうさんの場合、役を生きているという感覚をさらに超えて、「その人として、今、同時性を持ってそこに存在している」と言ってもいい。そういう感覚に襲われる時があり、その背景に広がる人生まで見えるように思うことがあるのです。

これまで私が拝見した限りになりますが、りょうさんは役とご自身がずばっと合う時とそうでない時の差が、かなり激しい方のように思います。過去映像を見返してみると、そこまででもないお役もありました。しかし、はまった時のずきゅーーんとしたはまり度は、抜群なのです。恐ろしいほどに。

先日、6月には笹ゆりが咲くという三輪山の麓・大神神社で思ったことは、「月雲の皇子の珠城りょうさんは、まさにここから遠飛鳥宮につながる時空を生きた皇子だった」ということ。もしかすると、セビリアに行けば「りょうさんはまさにホセだった」と思うのではないかと思います。

 

3.「生のまま」の感情を世界に差し出せる強さ

普段の生活において、私達はそこまで感情をさらけ出すことはありません。皆無と言ってもいい。

唯一、知恵がつく前の幼い子どもだけが、「生のままの感情」を何のてらいもなく、防波堤も何もなく「生のまま」で世界に差し出すことができます。

身近に小さいお子さんがおられる方、あるいはかつておられた方はお分かりになると思うのですが、全身で泣き、笑う。魂が直接こちらに向かってくるような小さな子どものまっすぐな感情表現は、時に見とれてしまうほどに美しいものだと私は思います。

珠城りょうさんは、様々な表情が浮かび消えるのを隠そうともしない瞳、全身が悲しみや恋に向かっていく様を無防備に見せる背中、指先から感情が溢れ、溢れた感情を再びしまいこむかのような指先の繊細な表情、頬をぽろぽろとこぼれ落ちる大粒の涙によって、舞台の上で「生きる」のです役の名前がついた人生を。

 

「なぜ、そんなにも無防備に、あなたは感情のすべてをさらけ出すのか?」

観ている私達は、はらはらと、ひりひりと珠城りょうさんが生きているその人生を見守ることしかできません。観客席から。

その無防備さ。それこそ、珠城りょうさんに対して「この人を”私が”守らなくてはいけない!」という切なさをもたらしているのだと思います。「私が」、「他ならぬ私こそが」、この人を守らなくてはいけないのだという切迫感。

できるならば駆け出し、りょうさんの広いはずの肩と背中を守らなくては!と思ってしまうのです。

 

では、なぜそのように無防備に珠城りょうさんは自分を舞台に投げ出すことができるのでしょうか?

その一つの解が「Believe」なのではないかと思ったのです。

珠城りょうさんには「信じ切る強さ」がある。舞台を、共演者を、演出家を、ファンを、観客を。

 

そのようなまっすぐな強さを、私達自身もかつては持っていたはず。しかし、日々を忙しく生きる中で、そのことを忘れてしまいがちです。

しかし、珠城りょうさんはまっすぐに、山の麓に咲く笹ゆりの清らかさのようにまっすぐに、「私はあなたを信じている」と、そう言える。

それは、ひたむきで真摯で無防備なまっすぐな強さだと私は思います。

 

以上が、私が暫定ながらたどり着いた現時点での一つの結論です。

不思議な方です、珠城りょうさん。彼女がなぜそのような強さを持ち続けることができたのか、それはまだわかりません。

私にできることは、これからの珠城りょうさんの舞台人生を、観客席から見守り、書き綴ることくらいですが、それが私なりの「守りたい」という気持ちの発露なのかもしれません。

 

ふぅぅ。非常事態の日々における一大ミッションをやり遂げたわ!どうでもいいけど、「めばちこ」、治ってほしいわ!!(^^)

※中学生娘に「おまけの記事」を書かれてしまいましたよ・・・。