代取マザー、時々おとめ

宝塚の観劇感想メインのブログ。たまたま代取(代表取締役)になったワーキングマザーの日々と哲学。twitterは@miyakogu5。

ただ静かな怒りを持って見守りたい そういう宝塚ファンもいる

忙しい1週間が終わりました。現役タカラジェンヌさんがお亡くなりになるという痛ましい事態に言葉を失った1週間でした。

ご家族のご心情を思うと本当に心が痛みます。子どもに先立たれた親御さんの哀しみを思うと、軽々に発信できるようなことではありませんでした。初七日が過ぎた今、ただ安らかに魂が天に登られることをお祈り申し上げ、哀悼の意を表します。

 

1.静かに見守るファンの存在

さて、この間、事実を反映したのか全くわからない記事と憶測や思い込みに基づく様々な発信、書き込み、外野のまとめサイトが飛び交いました。

一部ファンからは公式の発表を一刻も早くという発信、原因を究明せよ、早く長期対策をと求める声。中には、運営者は寝ずに対策せよというXでのポストまで目にしました。

今になってわかるのですが、ネタに飛びつく外野はさておき、ファンには大きな動揺と哀しみ、そして誰にぶつけていいのかわからない怒りがあったのだと思います。

私には自死を選んだ友人がいました。その友人とは数日前まで普通に会話していて、抑うつ状態は改善しているように見えました。彼に対して何かもっとできたことがあったのではないかとずっと自責の念がありましたが、長い時をかけて、そこはもう本人にしかわからない、これまでの人生の中で積み重なってきた複数の心身の事情があったと最終的には理解するしかありませんでした。

何かの事象があると、人はその原因は何だったのかを知りたくなります。

けれど、おそらく原因Aが事象Aに、原因Bが事象Bに直線的に結びつくという単純なものではないと思います。複数の大小の様々な要因がからみあい、最終的に何かが起こってしまう。私はそのように感じています。

この度の件。おそらく、回りの人となぜ?と憶測での要因を話し合いながらも、何も発信せず静かに見守っているファンの方が多いのではないでしょうか。文字通り、サイレント・マジョリティが大半なのだと思います。

 

2.根底にある静かな怒り

私は今日、久しぶりに宝塚を観る気になり、取り出したのは星組・紅ゆずるさんの退団公演のBlu-ray「食聖/エクレール・ブリアン」でした。

黒燕尾の場面の上妻さんの三味線の音、鎮魂を思わせる哀切なメロディー。去っていく人を見送る桜の花びらのような娘役さんの衣装。誰よりも宝塚を愛しトップになられた紅さん。

見ていて涙が溢れました。同時に、私がこの1週間感じていたのは静かな怒りだったと気が付きました。

大人になってからの趣味はそう簡単にできるものではありません。子育てと仕事で忙しく、結果的に病気も経験した私にとって観劇がどれほどの光であったか。

その光を台無しにした事実に基づくのか全くわからない雑誌記事。そこを鵜呑みにしたかのような加害者という言葉、もっと強い言葉で個人を名指しで非難するいい加減なまとめサイト。

自分の大切な場所を台無しにされたこと、最初にその雑誌に何かを持ち込んだ人々への怒りがこれほどあったのかと、自分でも驚きました。

 

3.宝塚を勧められない悲しさ

一度、宝塚を観てみたいな、という方は関西には結構おられます。

これまで、宝塚の舞台は美しいんです、素晴らしい総合芸術なんです、舞台の上の若い女性がこれほど端から端まで一生懸命な集団は他にはいないんですと、いろいろな方に語り、初観劇の方を大劇場にそれなりに送り込んできました。

初観劇後に今回の宙組公演のチケットを取ってあげていた子がいます。彼女が涙目で「宝塚の・・」と話しに来てくれました。その時、とっさに思ったのは「こんな世界に連れ込んでしまってごめん」ということです。まさか、自分がそんなことを思うなんて・・。

「もし観劇が嫌だったら、チケット、私が引き取るからね」と言うと、「いえ、行きます」ときっぱり言ってくれました。泉堂成さんのファンになりかけている彼女は、新人公演の心配をしてくれています。

私自身は真風さんの退団後、観る組を決めていて、観劇はいずれ再開します。ただ、しばらくは誰かに宝塚観劇をお勧めすることができないと思います。

昨夜は大阪・神戸ドイツ連邦共和国総領事館開催の東西ドイツ統一記念レセプションが神戸であり、本当ならドイツ総領事(割とお若い女性です)に月組公演「フリューゲル」について熱く語ろうと思っていましたが、差し控えました。土地柄、領事館スタッフには宝塚ファンもおられると思います。最近のトピックスが耳に入ったとして、そんな劇団なんだと思われるのは嫌です。

身近に宝塚歌劇団で創作側になることを希望する若者がいます。これまでは「いいね!」と応援してきましたが、今はどうかな?という気持ちが正直、あります。タカラジェンヌを目指そうとする方の親御さんも同じような動揺がおありになるだろうと思います。

これまでの「いいね!」という応援が、「うーーん、何が本当かは私達にはわからないけれど、よくよく考えた方がいいかもね」に変わってしまう。

これまで全組観劇していたのが、決まった組しか観なくなる。

その組の観劇も、1公演たとえば5回だったのが3回になる。

団体旅行や校外学習の対象として検討されても、「今年は辞めておきましょうか」となる。

いろいろな場所で、小さな影響が少しずつ出て、当面の間、かなり大きな影響を及ぼすと予測します。

 

4.静かに待ちたい

雑誌記事に書かれるような事象は程度はどうであれ、少なからずあったでしょう。宝塚歌劇団の中の運営や体質の問題も実際にあるだろうと推察します。少なくとも演出家や生徒さんが過労や睡眠不足で抑うつ状態になるような体制は改善していただきたいと強く願います。

一方で110周年を迎えようとする老舗劇団には、危機を乗り越えて歴史を紡いできた底力もあると思います。私がファンになる以前にあった裁判後も、素晴らしい方が入団されています。しかし、少子化の中で今と同じ規模で劇団を維持できると考えるのは楽観的過ぎると思います。

今後の劇団の中の自浄とそのための具体的な対策の推進を、私は静かに見守りたいと思います。

ご遺族の心情を思えば、全ての事情を公表するというようなことは私は一切要望しません。今は公演再開に向けて必死でいらっしゃるだろう歌劇団に一刻も早く長期対策をと急かす気持ちも一切ありません。歌劇団では今後、何らかの対策に動かれると思いますが、そこを逐一公表してほしいとも思いません。

外に情報が出る前提で本当のことを聴取できるとは思わないからです。

 

今はただ、悲しい事態をひき起こした複数の要因に怒りを持ちつつ、静かに今後の改善を見守りたい。私は静かに待ちたいと思います。

コロナ禍で客席が一つ置きに販売された時、運営企業の方と話す機会があり、数が少ない貴重なお席、値段を上げて販売されてはいかがでしょう?宝塚ファンは応援しますよ、と話したことがあります。

その時、間髪を入れずにきっぱりと言われたのは「いや、小林一三はそういうことを望まないと思います」ということでした。「庶民の小さな灯火」を世に創ることを目ざされたという一三翁への想いを前に、浅はかな考えを申し上げたことを恥ずかしく思いました。

かつて、山一證券さんは100周年を迎えた年に廃業を発表されました。記者会見で男泣きされた当時の野澤社長さん。あの方のように誰かが記者会見し、悪いのは運営側であって生徒ではありませんと誰かが泣く姿を見れば満足なのでしょうか?それで歌劇団が無くなっても?

誰かが泣いて詫びる姿を見たがるかのような空気感がファンの間にあるのを、私は残念に思っています。それよりも今はただ静かに待ち、見守りたい。

仮に宝塚歌劇団が事態を改善できず無くなるなら、残念ながらそこまで。しかし、長い歴史の中で苦難を乗り越えてきた力を再度発揮し改善されていくなら継続する。私は後者を期待しています。心から。関西の老舗企業様の力を信じています。

初めて宝塚を観劇した時、今まで見たことがない種類の舞台に圧倒されながら、一番心に残ったのは、どんな端っこの生徒さんからも伝わってくる一生懸命さでした。舞台の上にいるおよそ70人の若いきらきらとした女性が全員一生懸命な(少なくともそう見せられる)集団は他に無いと思います。

 

大多数の静かに見守っているファンの皆さまが、劇場で再び心から憂いなく拍手し、笑い、涙する日々が再び来ますように。舞台が再開すれば少しずつ、いろいろな心がほどけていくと思います。

真風さんのご卒業後、月組の大劇場公演が終わった今、不思議なことに私は宝塚観劇の予定は当面なく、今話題のOSKさんを含めて外部のチケットがたくさんあります。

いずれ、私も大劇場での観劇を再開します。その時に何も思わずに心から舞台を楽しむのはまだ少し難しいかもしれません。でも応援しています。

その時、ヅカ友さんと大劇場で再びお会いできますように。歌劇団の皆様が心身ともに健やかに舞台を再開されていますように。

少し遠くから、今はただお祈り申し上げます。