代取マザー、時々おとめ

宝塚の観劇感想メインのブログ。たまたま代取(代表取締役)になったワーキングマザーの日々と哲学。

雪組・星逢一夜 まじめに考察2 天体観測後に考えた 号泣の後ろにある星を観る意味

こんばんは。暑さ全開の日本列島ですね。お元気ですか?本日、4回目の観劇をしてきた夏休み中の娘によると、今日のお芝居はさらに良かったようです。明日の新人公演にも期待が高まります。

※お越しいただき、ありがとうございます。勢いのあまり、「星逢一夜」について、結局16個もの記事を書いていました。そのまとめがこちらです。よろしければご覧下さい(^-^)。 

mothercoenote.hatenablog.com

 

1.偶然の天体観測

この週末、miyakogu一家は私の実家にプチ帰省、お墓参りをしておりました。晩御飯に大学生の姪が合流、久しぶりに従姉のおねえさんに会えて大喜びの娘です。

この姪っこちゃんが花火を一緒にしようと花火を持ってきてくれたのですが・・。花火を運び込んだ次に、車から何やら大きな白い物体を取り出し、担いで来ます

何、なに、それ、なぁに??

それはなんと、白い大きな天体望遠鏡。そう、彼女はなんと「星を観る人」だったのです。慣れた手つきで望遠鏡をセット、ピントを合わせ、私達にまず月を見せてくれました。

塾講師のバイト代で購入したというその望遠鏡はおよそ5万円、専門サイトで購入したそうです。彼女の趣味を全く知らなかったので、びっくりしました。とても忙しい大学生活を送っている彼女は夜な夜な、自宅前でこのように天体観測をするのが唯一の趣味とのこと・・。ええと、それってどこかで聞いた話ですよね・・。

「晴興やん!」。私と娘は大興奮して、「星逢一夜」の主人公が星を観るのが好きな少年であること、絶対に気持ちがわかるはずやから観劇しようと大勧誘。彼女も結構その気で、関心はあるとのこと。これはぜひ!旦那はんのチケットを回してでも姪っこちゃんに観劇いただきたい!現在、日程調整中です。

月のクレーター、土星の輪をみせてもらい、大興奮のmiyakoguと娘です。土星の輪っかって小さいけど、くっきり見えるんですねぇ。

 

2.天空を運行する星の規則正しさ

あいにくほぼ満月、やや曇り。一部の一等星しか見えませんでした。おそらくこと座のベガと思われる星を見ていたとき。横にやや光が弱いのですが寄り添うように見えた星があったのです。晴興と泉のようだと思い微笑ましく思いました。

でも次の瞬間、はっとしました。

当たり前のことなのです。2つの星はそのままの距離を保ったまま、天空を巡ります。決して近づくことはないのです。ああ、そうか・・。と思いました。(正確には地球が自転・公転、現在の理論と観測で分かる範囲では宇宙が膨張しているため、星はさらに離れていっています)。

惑星は別の動きをしますが、星々は位置が定まり、そのまま空を巡ります。決して自分達の意思で近づいたり、定められた道を外れることはありません

青年になり徳川吉宗の姪との結納が決まっていた晴興と、少女から大人になり源太に嫁ぐことが決まっていた泉が再会したとき、彼らの道はもう決まっていました

再会後、切なげにかつ苦しげに歌う二人の歌。「あなたに逢いたい この夜だけは」というフレーズとメロディが印象的な主題歌の「星逢一夜」には以下のようなフレーズがあります。miyakoguも2回目の観劇で以下の歌詞に気がつきました。

「空を行く星々は 定めにしたがい 抗わぬもの けして揺るがずに 心殺して 空を行くだけ」

(出典:宝塚歌劇団「星逢一夜」主題歌 作詞/上田久美子氏)

 

3.星を観たことの意味

晴興と泉は二人でそのように歌い、それぞれの定めに従って生きることを選びます。選ぶというより、それしかなかったのです。晴興と泉が星を観たことから受け取ったのは、定めに抗わないという星の動きでした。源太の自分を殺した願い(涙)に応えることはないのです。

晴興は、さらに江戸城で与えられ続ける役目を受けとめ続け、老中となり吉宗公とともに改革に突き進みます。まるで自分の運命に従い続けることでしか、若き日に自分が選ばなかったもう一つ別の可能性から目を背けることができないかのように・・。選び取る勇気のなかった自分は、その報いを受けてしかるべきだというように・・。その点は聡明そうな貴姫に見破られています。

しかし、別の目で見ると、男として栄達の道に引き上げられ、権力を手にすることには、おそらく確かに高揚感もあったと思うのです。晴興は必ずしも不幸であったとは思いません。ただ、心の奥底に常に忘れられない星があり、その思いをどうしても忘れることができず、やがて吉宗公の描く理想の星と、自分の中にある星の2つに引き裂かれていったのだと思います。

一方、源太は一揆を起す時、仲間達に「欲にかられて、米蔵を襲うようなことがあってはならない」という趣旨のことを言い伝えます。「俺達は星を観たんだ。土にはいつくばった他の人間とは違う」のだと。(正確でなくてすいませんが、確かそういう趣旨です)

星の運行の規則正しさでなく、むしろ「星を観た自分達」への誇り、いかなる時にも地上の欲ではなく見上げた星の気高さの中で、立ち上がったのだという自負。源太は、幼い頃に星を観たことの意味をそこに見出したのではないかと思います。

一揆を巡り向かいあった晴興が、「ならぬものはならぬ」と源太に語気を強めて言う時、星の動きを一緒に観た友が運命には抗えぬこと、定めを変えられないことをなぜわかってくれないのか?と苛立ちを隠せません。なぜ、星からその意味を受け取ってくれないのか・・。

しかし、泉に「あの人にかなうわけがない」(勝ち目がない、でしたか?)と一揆を押しとどめられようとした時、源太はそこに男の意地を加え「俺達の敵は晴興だ」(という趣旨です)と叫び、戦いに身を挺してしまいます。かなわないのに、わかっているのに、幼き日の友人なのに、泉の想い人なのに。いえ、泉の想い人だったからこそ、なのでしょう

2回目の観劇時には、太の優しさはそのままに、まっすぐな強さをより前面に出しておられたようなだいもんさんの迫力ある演技でした。

 

4.観客席の号泣の意味

観客席の私達は、現実世界に生きる中で、必ずしも思い通りに生きていけないことがあります。いえ、むしろその方が多いでしょう。今ここに至る道ではない、あちら側の道を選べばよかった、選びたかった。選ばなかったことの痛恨の思い、そして現実にならなかった道への秘めた甘やかな想像。そのような思いをどこかで抱えていることがあるはずです。そう若くない観客であればあるほど・・。

そう、私達は私達なりの星の動きに従ってここまで来たのです。誰もが無意識のうちに忘れてしまっている、しかし無意識のうちに抱えている思い。そこを刺激し、物語に呼応する中で、観ている側の心の内にしまってある思い出を呼び覚ます。

この作品はその点において、私達を号泣させるのではないか

お若くして、そのようなものを呈示してこられた上田久美子先生は、やはり素晴らしい演出家ではないかと感嘆すると同時に、脚本の合間をも無言の演技で埋めてくる早霧せいなさん、咲妃みゆさん、望海風斗さんの3人の主要な演者には改めて感嘆させられます。

 

なので、人生経験の浅い娘よ・・。「ああ、美しいセリフ」と思った瞬間に、お母さんが横で劇を通してずびずびと、ずーーーっとうるさいからと言って、責めるでない!

これは作品の力なのだよ。まぁ、確かにうるさくてごめんよ・・。