代取マザー、時々おとめ

宝塚の観劇感想メインのブログ。たまたま代取(代表取締役)になったワーキングマザーの日々と哲学。twitterは@miyakogu5。

月組・エリザベート 病院訪問場面への感想と考察 愛希シシィが抱きしめた閉じ込められた少女の翼

皆さま、こんにちは。秋が進行していますね。私は会議続きの1週間をようやく終えてほっと一息ついています(^^)。

今、我が家のリビングでは星組「REON!!」を上映中。ちょうど「オーシャンズ11」からの場面です。皆さんのスーツ姿が素敵。真風さんダニーと長身揃いの宙組での「オーシャンズ11」、楽しみです。人事憶測には興味ないよ!うふふ。

ただ、宙組20周年の顔としてのまかまどコンビへの投資を考えると、そこまで早くはないでしょうね。うふふ、おほほ(^^)。

明日は月組「エリザベート」のラスト観劇。風間柚乃さんのルドルフを楽しみにしていましたが、風間ルキーニに月城さんの黒髪フランツになりそうなのかな?

美弥るりかさんは素敵な上級生さんとして、たおやかにセクシーに優しく月組をリードしてくださっている方。ここはもう、大事に休養していただき復帰をお待ちしたいと思います。長く仕事をしていたら、こういうこと、ありますわね。

 

さて、前回の観劇時、病院訪問の場面で私は舞台からあるものを感じ、泣けました。そのことについて本日は書きたいと思います。

ミュージカル「エリザベート」は遠くヨーロッパの地で沈み行くハプスブルク家を描いた物語です。プリンセスに生まれ、オーストリー・ハンガリー帝国の皇妃になり、子どもを喪い、死に何度となく惹かれながら旅を続ける中で暗殺され生涯を閉じた女性の物語。

私達の人生を一つの円、シシィの人生を一つの円としてみたとき、重なり合う部分がほぼない遠い存在です。

けれど、病院訪問の場面の愛希れいかさんシシィの演技は胸に響くものがあり泣けました。「エリザベート」の物語に普遍的なものを感じた場面であり、そう思わせた愛希れいかさんの演技でした。

さて、それは何だったのでしょう?

 

海乃美月さんのヴィンディッシュ嬢は「私がエリザベート」と強気で出てきたわりには、顔を伏せてうゎーーんと泣きます。この泣きじゃくるヴィンディッシュ嬢は新鮮でした。

シシィが歩み寄り彼女を抱きしめ、「あなたの方が自由よーー」と歌うとき、これまでは「替わってもいいのよ」というシシィに深い絶望を感じてきました。

しかし、今回の月組「エリザベート」のこの場面、愛希れいかさんが抱きしめたヴィンディッシュ嬢はシシィの中に閉じ込められていた溌剌とした少女、すなわちシシィ自身の影に見えたのです。

バイエルンの森の中で馬に乗り、パパと狩を楽しんだであろう少女は、本来は木漏れ日や風がとても似合う溌剌とした少女だっただろうと想像します。でもその少女の翼は閉じ込められたまま、伸ばせない。それはいつか狂気につながるような絶望だっただろうと。

泣きじゃくるヴィンディッシュ嬢の中にシシィが見た閉じ込められた少女の翼。

本当ならその翼を一杯に広げて、鳥のように自由に飛ぶように人生を送りたかっただろうに。

シシィはヴィンディッシュ嬢を落ち着かせるために抱きしめたように見えて、自分の中に閉じ込められた少女としての自身を抱きしめたように見えました。辛かったねと声をかけ、そんなに泣かないでという願いを込めて背中をさすって。

愛希れいかさんの演技からは、そのように思わせる母性のような力と、再び立ち上がりたいという思いと、同時にそのようにしか生きられなかったという諦念と。それらが入り混じった感情が伝わってきました。

だからか、病院から歩いて出て行きながら歌う「鳥のように」は、久しぶりに彼女にその少女が戻ったかのような強い声が一瞬響きます。

しかし、現実をつきつけるようにルキーニのフラッシュ音が響き、一気に現実の世界、翼を決して伸ばせない現実の世界に、無情にもシシィは連れ戻されます。

短い宝塚観劇歴で恐縮ですが、このフラッシュ音がここまでいらつくように感じられたのはこの月組さんが初めてでした。さすが月組のお芝居だったと思います。

 

アラフィフにもなると多くの選べたかもしれない道の中で、自分はやはりこのようにしか生きてこられなかったのだというある種の諦念、あるいは開き直りがあります。決して後悔ばかりではなく、それで良かったのかもしれない、結局同じことしただろうなという明るい肯定も含めた諦念。

けれど、いつだって心の奥深くにはやっぱ思春期の少女の自分がいるように思うのですね。叶えられたものを誇りに思うと同時に、本当はこういう夢もあんな夢もあったという淡い後悔。

シシィは誇り高く「私が踊る時」と歌い上げたとおり、皇妃として高揚した時間をも確かに過ごしたはずで、絶望ばかりでは決してなかったはずです。

ただ、その時間の中で閉じ込めてきた少女はいる。

その少女をヴィンデッシュ嬢を媒介して一瞬でも抱きしめることができたという救い。そう、何か”救い”を感じさせた場面でした。

同時に、宝塚で戦ってきた時間の中で、彼女自身の内側にいるだろう夢見る少女を抱きしめたちゃぴちゃんともオーバーラップしているようにも見えました。そう思わせた素晴らしい演技、歌唱だったと思います。

明日は月組「エリザベート」のラスト観劇。どのような変化と新たな化学反応があるか、楽しみに拝見したいと思います。辛口旦那はんはさて、どんな感想になるかな?(^^) 楽しみです。

あ、その前に!「プーと大人になった僕」、観てきますわーー!(^^) 心洗ってこよーー。