皆さま、深夜に再びこんばんは。
私と中学生娘の恒例のお風呂会議にて、さらに検討が進みました。
宙組「神々の土地」観劇時に、なぜいつも涙腺ゆるゆるの私が泣かずに、中学生娘がいつになく泣いたのか。中学生娘がさらに突っ込んで分析してくれました。
では、聞いてみましょう!
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「お母さんたちはさぁ、いろいろ既に人生を生きてきたやん?」
ええ、まぁ、そうなんですが。
「神々の土地の舞台はさぁ、お母さんのようなおばちゃん世代には、「他人の昔のアルバム」を見ているような感覚なんと違うかな?と思って」
「美しい人たちの昔のアルバムを、めくって見ているような。」
あ、確かに。ネット上でドミトリーさんやユスポフさんのお写真を確認することができます。100年前のロシア革命。
「でも、私らはね、同じくらい美しいことや衝撃的なことが、将来、自分の人生に起こりうるかもしれないという可能性、まだ経験したことがない未知の可能性が残っているやん、お母さんに比べて。」
ええと、それはつまり、私達おばちゃん世代の人生はまぁ、たいがい終わっているけれど、あなた方思春期まっただ中世代には、未知の可能性がふんだんにあると、これからアルバムが増えていくのだと、こういうことですな?!(^^)
振り返ってみると確かに。私はソビエト連邦崩壊の第一報を、たまたま当時住んでいたロンドンで、BBCの朝のニュースで知りました。その少し前にピーター・ドラッカー氏の著作「新しい現実」で、ソビエト連邦は持たないだろうという予測を読んでいたのですが、それほど早くとは全く思っていなかったため、第一報の衝撃は今でもよく覚えています。
考えてみれば、わずか100年前のロシア革命。娘が生きている間に世界はどう変わっていくか、確かに予測はつきません。
未知なる運命への予感は時に甘美であり、時に厳しくもある。その予感への震えるような思いがあるからこそ、この作品は彼女達世代からの瑞々しい共感を呼ぶのかもしれません。
よくよく考えてみると、私が宝塚歌劇団のファンになったのはわずか4年半ほど前のこと。突然の出会いにより運命のうねりに巻き込まれることも、おばちゃん世代もまだまだあるのです!
決していいことばかりでもないけれど、悪いことばかりでもない。これからの人生が娘にとってトータルでは良きものでありますように。
おばちゃん世代にも、まだまだ甘美な出会いがあるかしら?ひょっとして宝塚の舞台上からのウインクとか目線とかかしら?!それはとってもウエルカム!!です(^^)