皆さま、こんばんは。お元気でしたか?週末仕事が続きましたので、なかなか更新できませんでした。この時期、少しでも時間の余裕があると宙組を観劇しているからですが・・(^^)。
さて、先々週の金曜日夜、梅田芸術劇場で観劇した朝夏まなとさん主演「マイフェアレディ」について、少しでも書いておけたらと思います。と言いますのも、まぁ様ーー、まぁ様ーーー!とただ思うだけになってしまったので、詳細は追えないのですよ。実は(^^)。
- 1.一生懸命生きているイライザの強さ
- 2.明るいナンバーで涙、涙、涙
- 3.アスコット競馬場から大使館での大成功、でも・・
- 4.何も知らなかったヒギンズの恋
- 5.なぜ、まぁ様の舞台を観ると泣いてしまうんだろう?
1.一生懸命生きているイライザの強さ
幕開け、とても素敵に生き生きとバレエを踊る花売り娘が出てこられたのですが、まぁ様?!いや、まぁ様はもっと背が高いわ、と舞台を見守っていました。
まぁ様イライザが出てこられると、何というか、ただただテンションがあがってしまって、あーー!まぁ様だ!まぁ様だーー!舞台の上におられるまぁ様だーー!という感覚で一杯になってしまったのですね(^^)。
ヒギンズの屋敷を訪ねるまぁ様イライザ。言葉を直せば、正しい英語を話すことができれば、きちんとした花屋さんで働けると信じているまっすぐな強さ。まぁ様のスレンダーな長身に、どたばたとした所作と荒っぽい話し方が加わると粗野な少年のようにも見え、これは元男役さんならではのものがあったと思います。
一生懸命に生きようとしている強さ、ストリートスマートと言われる種類の賢さがイライザには備わっていることが、まっすぐに伝わってきました。
一生懸命、ひなげし・・・の長文を練習するイライザ。強要するヒギンズ。応援するピッカリング。「ひ」がどうしても「し」になってしまうイライザです(^^)。かわいい・・。
この一生懸命さ、嫌になっても練習を止めない強さが、イライザの魅力です。
ヒギンズとピッカリングは英国の小説などで出てくる独身主義者の男性どうしの気楽な生活スタイルのようです。小説や映画に出てきますが、一種の英国文化だろうと思います。
2.明るいナンバーで涙、涙、涙
ついに「ひなげし・・」が発音できるようになったイライザ。有名な「踊りたいの」の楽曲を歌われる素敵な楽しい場面です。うきうきするようなナンバーですね。
朝夏まなとさんのイライザからは、「言えるようになったんだ」「やりとげたんだ」「自分はちゃんとできるんだ!」という喜びがまっすぐに伝わりました。
良かったね、イライザ!と観客も喜びを覚えて拍手喝采の場面です。
ところが、ここで、まぁ様ーー、まぁ様ーー、良かったね、よがっだね、よがっだ・・・。涙ぽろぽろになったんですよ、miyakoguは(T-T)。
ハンカチを出してなかったので、ぽろぽろと頬をいくつも涙が落ちて、かっこ悪いし、隣にいる中学生娘に後で「何泣いてんの?」と呆れられるだろうし、誰も泣いてないのにと思いつつ。あやうくしゃくり上げそうな勢いで泣けました。
いや、落ち着いて、miyakoguさん?なぜにあなた・・。
そうなんですよ。自分でも訳がわからない。
イライザとしての「言えた!」という喜びと、「私、女優になれたの!」というまぁ様の喜びを観ているように思えて、だろうと思います。
幕間に、twitterでお知り合いになった方がご挨拶にと席まで立ち寄ってくださったのですが、初対面なのに「まぁ様の舞台をもう一度観られたと思うと、泣いちゃって」と再びいきなりの涙で、とってもかっこ悪かったです!mh-sun&moonさん、その節はごめんなさいね!(^^)
3.アスコット競馬場から大使館での大成功、でも・・
上流社会の社交場であるアスコット競馬場で最初こそ貴婦人のふるまいをしているイライザ。この場面の白いドレスのまぁ様のお姿が美しくて、スレンダーな中に曲線を描くラインがお綺麗で、本当に「白い光を纏うとても美しいレディ」に大変身。見とれました。
傑作だったのは競走馬を応援している内に、下町言葉でわぁわぁ騒いでしまうまぁ様イライザです。そのイライザにノックアウトされる貴族のボン、フレディ(お金持ちではないんですね)。
白い服を身にまとい髪を結い上げ、顔のまわりの小さなカールが素敵なレディなのに、すっとこどっこい風な言葉遣いのイライザ。当の本人はレースに夢中。爆笑しました!
いや、これは魅力的でしょう?!
だって、会ったことがない女性なんですもの、今まで。フレディが惹かれたように、多分、ヒギンズだってこの時点でぐぐぐっと来ていると思うのです。それまで会ったことがない異性、自分を慌てさせたり笑わせてくれる女性。しかも美しい・・。
2幕は、大使館でプリンスのお相手に選ばれてダンスをしたまぁ様イライザの大勝利。疑り深い語学学者(?)カーパシーに詮索されつつ、見事にレディで押し通します。
みんなの大勝利なんですね。3人の。本来は。
でも、ヒギンズとピッカリングは自分たちの手柄だと喜ぶばかりです。がんばったのはイライザなのに。見事にやってのけたのは彼女なのに。3人のチームでの勝利のはずなのに。イライザはチームの仲間にはなっていない・・。同等の階級の人間ではないからだと思います。
私は以前、少しばかり英国で仕事をし、英国階級社会の一端をあくまで短期滞在の外国人の目としてですが見る機会がありました。私が観察したごくごく狭い範囲ですが、ある種の人たちは違う階級の人間とは決して交流しようとはされなかったと思います。
たとえば、夜、オフィスで掃除をされている方々に対し、日本であれば声をかけることもあると思いますが、一切ない。その場に人が存在しないかのような振る舞いでした。というか、その時間までいるのは日本人くらいか・・。
話を戻します。
4.何も知らなかったヒギンズの恋
イライザは言葉を直しレディらしく振舞うことができれば、当然、レディとして扱ってもらう資格があると思います。まっすぐに。
ヒギンズはそういったことに一切気づかない。翌朝、イライザがいないことに自分がものすごく慌てていることすら、自覚できていない。傷つけたのは自分だということもわかっていない。言語学以外は何もわかっていない。そういう引き出しがないからです。
あなた、大慌てですやんか?朝になってイライザがいないと気づいた途端に。
独身主義で気楽に生きてきたヒギンズにとって、女性は不要だったのだろうと思います。同等の階級の女性を相手に、必要があれば慇懃にダンスの相手をして、それっきり。何一つ、彼の人生を変える必要はありません。気楽な居心地のいい安全地帯。自分を変えなくていい。
でも、「今まで会ったことがない類の女性」と出会ってしまって、その人が不在だと、胸のどこかにぽっかりと穴が開いたようにちくりと寂しい、そういうことがあったとしら?
そのちくりとした寂しさから、確実に自分の心の中で寂しい風が吹いているとわかってしまったら?
その欠落を自覚することが恋に落ちるということであり、それまで自分が直面する必要がなかった不可欠な相手に出会ってしまったということだと思います。
ヒギンズは幸いにして(彼的にはおそらく)、そんな面倒なことには巻き込まれたことがなかった。面倒で、愚かなことだったのでしょう、彼にしてみたら恋なんて。自覚するまでのヒギンズの嫌味な傲慢さ。寺脇さんは見事にそこを演じておられたと思います。
でも、出会ってしまったら、もう知らなかった頃には戻れない。そして自分も知らなかった世界に一歩踏み出すしかない。(読み返すと宝塚ファンが沼に落ちる経緯と全く一緒ですね・・💦)
それまでの自分から変わるのは怖いことです。気楽に長く独身生活を楽しんでいれば余計に。けれど、それ以上にその人と一緒にいたいなら踏み出すしかない。みっともなくても、追いかけるしかない、傷つくしかないのです。
私は、恋に落ちる、誰かに出会ってしまうというのはそういうことだと思います。
蓄音機かな?ヒギンズがイライザの声を再生して聞く場面、目を閉じてソファに座っている姿からはどうしたらいいのかという途方にくれた彼の”弱さ”がにじみ出ていました。この場面の寺脇さんの演技も巣晴らしかったと思います。
ヒギンズがそこに気づくまでの間、イライザは自分が実験台に使われたように思って怒ります。でも、実はイライザもこの怒りがどういうことを意味するのかを最初は多分、わかっていなかったのだと思います。正当に扱って欲しかったというのに加えて、一緒にいたかったということを。
二人とも一緒にいたいと思っているのに。
5.なぜ、まぁ様の舞台を観ると泣いてしまうんだろう?
ヒギンズが自分の怒りをわかってくれないことに怒り、哀しみを覚える朝夏まなとさんのイライザの表情が印象的でした。
唇をまっすぐに結び、震わせ、目を落とし、必死で自分を保とうとするイライザ。
その表情を見たとき、宝塚での退団公演「神々の土地」のドミトリーを思い出しました。ドミトリーも言葉にできないことをぐっとこらえて飲み込んだ役どころでした。
同じ表情ですが、確かにドミトリーは憂いを含んだ高貴な青年でした。イライザは下町の女の子でした。自分で生きようと変わろうとする強さと賢さを持った長身の女の子。
不思議でした。そして、ああ、まぁ様は立派に舞台女優になられたんだとも思いました。
ダンスのときの相変わらず長い手は同じながら、手の先の柔らかな動きが女性的だったのも印象的です。手の先、指先まであの方は男役だったんだと改めて思うとともに、素早くそんな細部まで変えてこられたまぁ様の努力を思うと、また泣きそうになりました。
というわけでね、イライザの白い光を纏うようだった美しさ、一生懸命に生きようとする強さと賢さ、ヒギンズの恋への自覚と躊躇が伝わってきた舞台だったと思います。
古くさい面はありながら、まぁ様イライザがどうしても「ひ」をちゃんと発音できない場面や、アスコット競馬場で大真面目な顔のまま言葉が崩れていく場面をはじめ、爆笑しました。
まぁ様が出てこられるとまぁ様ーー!まぁ様ーーー!!となり、爆笑し、そして泣いた。そういうとっても心が忙しい観劇体験でした。
それにしても、まぁ様の舞台を観ると、なぜ、いつも泣いてしまうのだろう?と思うのです。素敵な楽しい名曲の場面だったのに。
やはり、それも出会いなんだろうなと思います。
まぁ様はかわいらしくて素敵で、高音も伸びやかに出て、ダンスはとびっきり綺麗でした。もちろん、世界的に活躍されているミュージカル・スターと比べると、歌唱はまだそのレベルではおありにはならないと思います。
ただ、朝夏まなとさんという存在自体がとてもとても魅力的なんですね。白い衣装をまとうと自分が白い光を放つように見える人。
くるくると変わる愛らしい表情、大きな目、美しいスタイル。全身を舞台に投げ出すような演技、起きている時間の95%は舞台のことを考えていると言われるような自分の時間を舞台に賭け切る勇気。
自分のすべてを賭けるのは、怖いことです。全力でなければ、後で「あの時はまだ余力を残していたから」と言訳ができます。
けれど、朝夏まなとさんはそういう人ではないのですね。私達はその点においてまぁ様を信頼していると思うのです。
朝夏まなとさんの舞台に賭け切る勇気と本気。そこにもう一度出会えたという喜び。
千秋楽の大分でのご成功を心からお祈り申し上げます!(^^)