代取マザー、時々おとめ

宝塚の観劇感想メインのブログ。たまたま代取(代表取締役)になったワーキングマザーの日々と哲学。twitterは@miyakogu5。

乳がん発覚からの記録 ーたどり着いた自分なりの死生観、乗り切りますね

皆さま、お元気でしたか?(^^) 新型コロナウイルスの感染が一日も早く収束するよう自身も気を付け、祈る日々です。

さて、11月中旬に病気が判明し、クリスマスに手術を受け、先週、術後の抗がん剤治療が始まりました。この間のアップダウンの中で、最後にたどり着いた「結構ほっこりとした死生観」について、自分のために記録しておきたいと思います。

同時に、遠い将来に娘の支えとなるように。

そして、今この瞬間、同じようなプロセスの中で眠れない夜を過ごしているどなたかのために。ほんのちょっぴりでもお役に立てばと願います。

↑ 落ち着いて、miyakoguさん。あなた、四捨五入でほぼ100%の5年生存率。いいの、開き直るまでのプロセスを伝えるの!

 

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1.はじまりは突然に

中年以降、ぼんやりと意識していても、真剣には考えてこなかった「死」。

知識としては「メメント・モリ」(死を忘るなかれ)、「よく死ぬことは、よく生きることだ」(乳がんと闘われた千葉敦子さんの著書のタイトル)という言葉は知っていても、真剣に考えたことはなかった「自分の」行く末です。

もちろん、73歳で亡くなった父の死に接して「死」という現象については深く考えました。私はお父さんにもう会えない・・、生と死の境目は何なのかという疑問、そこは考えたことがあります。

自分で小さなしこりを見つけ即日、専門医院で検査→判明→手術まで2か月の奔流でしたが、クリスマス手術の前日、主治医からの説明はあくまで「ごく早期」でした。

家族や会社のスタッフに「落ち着いて。完治率の高い、ごく早期だから心配せんで良し!今はがん治療はここまで進んでいるから!」と、こちらが励ますという妙な状況でした(^^)。

※私は創業会長のもと、非親族で後継した中小企業の二代目なんですね。

けれど、麻酔から醒めた手術直後、センチネルリンパ節への転移が見つかり(注 本格的転移のことではありません)、節分に聞いた結果はやや進んでいました。

そもそも病気判明後、「乳がん」という言葉の前にただでさえ大変な状況な中、本をざざざーと読み、いろいろ調べて調べて調べて、

「あれ?これ、ごく早期の場合、ほぼ完治?」

「ステージ1の5年生存率って99.8%? 行けるやーーん!」

と安心して、明るく臨んだ手術が、あらら・・です。

がーーんですよ、まさに(^^)。←ごめん、一度は言ってみたいやん?(^^)、それから落ち着いて、miyakoguさん?あなた、5年生存率はこちらの専門病院、ほぼ100%。

※これはただ、今だからそう言えるのです。

 

2.ファクトと向き合い、不安に

検査の段階で再発しやすいタイプとはわかってましたが、幸いに早期発見、よしこの機会に生き方を変えよう、おばちゃん、やるわ!と思っていたところに見舞われた急な変化。これには正直、参りました。混乱です。

将来の再発・転移のリスクがぐんと上昇か・・。そこから再び、ががーーとさらに勉強です。

その結果、把握したことは、

・がんは5年再発がなければ、完治とみなされるが、乳がんの場合は時間を置いての再発がみられること。

・私のタイプは2年以内の再発が一定程度あり、次は7-8年後くらいにやや高まること。

・国立がん研究センターの最新の乳がんの5年相対生存率は、ステージ1で99.8%、2でも95.7%と極めて高く、通院している専門病院はさらに高いこと。

・仮に再発したとしても、抗がん剤治療をしながら、長く生きている人が多いこと。

・再発せずに80歳、90歳まで長生きしている実例も結構、身近にあること。

これらのファクトを把握、なるほど!と納得しました。

いったんは、です。

 

こういう状況下では、まず否認、そして不安や落ち込みが出て、受容へとなることも頭では理解していました。

けれど、ここまでわかった上で尚、人間ってどうなると思います?

絶対に自分は「まずい方の少数に入る」と、思うんですね。だいたいのことは笑い飛ばせる大阪の立派なおばちゃんである私もです。

だって、ここまでずっと、しこり発見→がんの疑いです→がんです→ごく早期です、温存できます→あれ?ちょっと広いな、全摘です→リンパ節への転移あり、ステージは進むかもと、毎回毎回、出るのは悪い方のカード。 

悪いカードしかないやん、どないなっとんねーーーん?!

先生、実はタヌキーー?!

 個室の窓から叫ぶmiyakogu、名医に八つ当たり(^^)。

最初思ったのは、「ちっ。宝塚友の会のチケットは全然当たらないのに、ここで当選かよー!」ってことでした。人間って妙ですね。ただ、しこりが実際にがん細胞であるのは2割程度のようです。

良い子の皆さんは、40代半ば以降特に、恐れず検査に行って下さいねーー!

あと、がん保険とか、女性疾病特約のある保険はかけておいてーー!薬の進化が非常に速く安心なのですが、その分高額になるため、保険は心強いです。

私のタイプの場合、手術後に抗がん剤と併用される画期的な分子標的治療薬(副作用が格段に少ない)により劇的な改善がみられるというのに、

「自分は再発する側に入るんだ、きっと」

「5年生存率を下げる側になるんだ」と思ってしまうのです。

次も「やっぱり」、「どうせ」、自分には悪いカードが来るんだという悲観。

この時期、「そんなネガティブに考えるのはやめようよ。病は気からと言うじゃない?」なんていう「ど正論」は、まったく通じませんので、患者の近くにいる方は、そこんとこどうぞよろしく!

落ち込んでいい、かっこ悪くていい。

実際、私が浮上するきっかけになったのは、twitterで出会った同病仲間との何気ないDM上での会話でした。急に、それまで抑えていたやるせなさ、これはあの時の負荷のせいなんだと、普段絶対に言わない、かっこ悪くて卑怯だと自分が絶対に許さないはずのことを、全部全部、ぶちまけたい。

そこがばばばーーっと涙&鼻水と一緒に出て、オフィスの昼休み、周りに気付かれないようにするのにちょっと苦労しました(^^)。

私は闘うタイプのようで、泣いたのはその時と山下達郎さんの「ずっと一緒さ」を聞いて娘を思って泣いた2回だけです。(ちなみにこの曲はむしろ、プロポーズの曲。すみません、タツローさん)

 

3.心の問題

電子書籍を含めて15冊程度の本を読み、標準治療を受け生き方をがらっと変えた上で、最後には「心」が重要だということはよくわかりました。

※たとえば『がんが自然に治る生き方』ケリー・ターナー氏、プレジデント社

しかし、どう受け止めどう考えれば、次へと動き出せるのか。その手がかりはなかなか見つかりません。

その状況の中で、聖路加国際病院に精神腫瘍科を開設された医師・保坂隆先生と今渕恵子さんとの対談本『がんでも長生き 心のメソッド 』を拝読。その中で保坂先生の言葉、「人間は死亡率100%」というものに出会います。

確かに。地球上、77億人(2019年の国連推計による)は、いつか確実に全員亡くなります。誰もが等しく。もう絶対に間違いなく。100%。

対談相手である今渕恵子さんは2018年に逝去されているのですが、彼女のtwitter上、スタッフの方が投稿された内容には、こうあります。

「今渕が亡くなる何日か前、しみじみつぶやいた言葉は「私は幸せ者だなぁ」というものでした。」

出典:今渕恵子様のtwitterより

「幸せ者」だとご本人も周りの方も思っておられる・・。これはどういうことだろう?と考え始めたのです。

 

4.10年、15年という時間

幸いにして、私の場合、発覚が50代半ば。分子標的治療薬の開発が続々と進んでいる昨今、仮に再発しても治療しながら15年生きるとして、私は60代半ばから70歳なんですね。

これって、本当に短い人生かな? 志半ばかな? 今まで何も残していないかな?

いや、全然違う。結構、十分に良く生きた人生だと言える。そう思ったのです。

(もっとお若くしてがんになられた方のご本人とご家族の思いについて、今、そこまで配慮できていなくて申し訳ないです。私のケースとして、ご容赦ください。)

坂本竜馬は31歳、織田信長は47歳。歴史上の人物との比較はおこがましいものの、十分です。

じゃあ、15年を一つの区切りに持とう。その見取り図ができたのです、急に。

もしそれより早ければ、そこがもともと神様からもらった寿命。粛々と受けましょう。

逆に長ければ、もうけもん。余生として楽しく生きれば良し。

仮に15年だとすると娘とはこれまでの倍、一緒に生きられる。

会社も3年後の周年事業を全うして、次に引き継ぐだけの時間はたっぷりあります。

その仕事が終われば、プチ鉄子として鉄道の旅に出よう。そうだ、宝塚を平日に観る!(^^)。楽しいことをしよう。もっと、楽しむことを自分に許そう。

だいたいの見取図ができることで、病気への向き合い方が定まったように思います。

脱毛前の記念にと、プロのカメラマンに公園で出張撮影も依頼(お安いです)。家族とともに綺麗に楽しく、家族三人でポーズを決めた宝塚風の写真も撮っていただき大満足です。遺影にも使えます。←割とまじでした。ただ、今ではあわよくば、20年-25年は生き延びる気満々ですね、ええ・・。

 

「事実を直視する恐怖」。

それを乗り越えたら、次は「どうなるのかわからない恐怖」

特に後者の「どうなるかわからない恐怖」=「一生懸命治療を乗り越えたとして、いつ再発するかわからない恐怖」こそ、がん患者を苦しめるものではないかと、私は思います。

あくまで私の場合ですが、再発込みのシナリオで人生の見取り図を10年、15年と描けたことで、私の場合は落ち着いたように思います。

 

5.父からの贈り物

見取り図ができた上で、では「いつか来る死」をどうとらえればいいのか。最後にその問題が残りました。その時、はたと気付いたのは父のことです。

私は単身赴任の長かった父と唯一、二人で一緒に住んだことがあり、三人姉弟の中で一番近しい関係でした。

父はすい臓がんで余命1か月、「思い残すことは何もない」とさっぱりと73歳でこの世を去りました。その父が、亡くなる数日前に病院で楽しそうに弟に語った言葉。

「もうすぐ、行かんならん。ご先祖さんが、ようけ迎えに来はったから、7月18日に行かんならん。」と笑いながら楽しそうに語った父。そして、17日に息を引き取ります。

そうか、ご先祖様がたくさん来てくれるのか・・。宝船のイメージで。

もしもそうなら、会いたかった人に会えるなら、それは悪いことでは決してない・・。

父が亡くなる前夜、ベランダで洗濯物を干していたとき、さぁっと何かが私の背中を触ったように思ったことがあり、それは父の挨拶だったと私は信じています。

私のことを大切に思っていてくれていた父が、いざとなったら迎えに来ないはずはない。帰省の際、「何時になってもいいから連絡するように、駅まで迎えに行くから」といつも言っていた父です。

ご先祖様がたくさん乗った宝船のへさきに父が乗って、笑いながら手を振って「おおーーい!」と現れるなら、それは悪いことじゃない。むしろ、いつか父に会いたい。

そう思いました。今のところ、父は気配すら現していません。大丈夫そうですね。

父が人生の最後に示してくれた道筋。私がもし、同じことをこの先、いつか娘に示すことができるなら、彼女の遠い遠い将来の支えになるかもしれない。

私の父から私へ、私から娘へ。それはとても大切な贈り物になるはずです。

そして、先日、実際に娘にこのことを話してみたところ。

「え?ちょっと待って?じゃぁ、私がいつかそうなるとして、その時はお母さんが迎えに来てくれるの?」

「そう。宝船の一番先で、●●ちゃーーんって手を振って。」

「それは確かにちょっと嬉しいなあ。」

彼女も安心してくれました。

贈り物は引き継がれたのです。私は人生で一番大事な仕事を成し遂げたのかもしれません。

 

6.構成要素の一つとしての病気

もう一つ大事なこと。

仕事をしていて気づいたのですが、病気は私のすべてではないのですね。今回、抗がん剤治療初回が始まり、大変な日もありましたが、やや大きめの構成要素が一つ加わったと考えることもできます。

病気の前後。大きく変わっているようでいて、私は仕事をしている50代の女性で、結婚していて、娘がいて、父の娘であり、宝塚ファンである。そこは何も変わっていない。世界が崩れ落ちたわけではない。

先達の経験談を読み、絶対に変えたことはあります。「ノー」を言う、仕事をし過ぎない、自分の体を大切に扱う、運動を週に4-5回する、野菜を含めてバランスの良い食事をする、漢方も飲んでみてと努力する。

人事を尽くす。その上で運命を受け止める。

 

病気とどう向き合えばいいのか。混乱の中で考え始めた「私の旅」は、これでひとまずの結論を得ました。

そして、いつの日か、父が向こうからにこにこと迎えに来るなら、いつか会いたい。今はそう思えます。

 

最後に、いつもの私らしく(^^)。

片側の全摘手術後、上から胸を見下ろした時、ちょっとしたふくらみが見えました。「いやん、先生の配慮?ちょっとふくらみあるやん!タヌキとか言ってごめん!」と思ったのもつかの間・・。

 ↓

それは、なんと!おなか中段のは・ら・に・く普段、胸の下に隠れていたんですね(^^)

そんな感じで、やっぱり変わっていないのです。わははーー。

ただ、副作用が和らぐとつい仕事をうっかりしてしまいます。どうにかならんかなぁ、これ?ブログ読者の皆様、仕事しすぎるな!と時々、見張っていただけらありがたいです。治療は1年半に及びます。皆さま、仕事し過ぎるなと、どうぞ見張ってやってくださいね。