代取マザー、時々おとめ

宝塚の観劇感想メインのブログ。たまたま代取(代表取締役)になったワーキングマザーの日々と哲学。twitterは@miyakogu5。

【宝塚歌劇団】宙組「王家に捧ぐ歌」まじめに感想 その2 王女の誇りと私の涙

その2.王女の誇りと私の涙

●好きな場面、泣いた場面

一番好きな場面は、やはり銀橋でのラダメスとアイーダの場面です。特に、まぁ様が腕を広げて「アイーダ」と何回も呼びかけるじゃないですか?!あそこ、2列目くらいまでに座ってたら、銀橋によじ登りかねないです。観客席から続々と。なんて素敵な若き将軍であることよ。

そして、一番泣いた場面は、アムネリス様が「私にあなたを殺させないで」とラダメスのところに最後の説得に来るところです。私はここのアムネリス様が好きなのです。

 

●勝った国、負けた国 それぞれの王女

アイーダもアムネリスも、いずれも本来は同じ誇り高き王女。ただ、勝った国と負けた国という違いで、常に王女らしくいられた=王女でい続けなければならなかったアムネリス様と、周りから「王女らしく」と言われ続け、最後に王女を捨てるアイーダ。

愛を得たのはアイーダで、アムネリスは愛した人を死に追いやってしまう。アムネリス様は、ファラオになって本当に幸せだったのかな?と思ってしまうのです。

戦争に負けたことで「王女らしく」を断ち切り、たとえ瞬間でも愛のみに生きることができたアイーダと比べて、その後のファラオとしての人生は栄華と誇りに満ちてはいたかもしれないけれど、厳しい局面もあっただろうと・・。

なんだかちょっと、お仕事に生きる女性と、すぱっとお仕事を辞めて愛に走った女性(現代でいえば、たとえば海外赴任についていくために)の違いのようにも思えて、切ない限り・・。もちろん、木村先生は愛と平和(今回は愛に重き)を描いておられるので、そんな対比を思い浮かべるのは、的外れなんですが。

ちなみに、地下牢の場面での、「もう出られない」というまぁ様の声の震えが、壮一帆さんの「ファントム」におけるキャリエールのセリフと言い方と似ていたような気がいたしました。

 

●少女性

ストーリーも歌も衣装もセットもすべて壮大でダイナミックで、テーマも重厚な「王家に捧ぐ歌」、私の唯一の不満がここです。

「Puck」を観劇した時、「え、え、私、何でこんなにあちこちで泣けるの?」とうろたえたことがありました。ハーミアが「パック、手をみせて」と言うだけで泣け、パックがハーミアに気づいてもらえないけれど、一生懸命働いているだけで泣け、ボビーが森を救おうとするだけで泣け。

パンフレットで小池先生のご挨拶を読んで、納得したのであります。「私の中の少女」が呼び覚まされる舞台なんだなと。

おばちゃんになっても、心の中にいつかの少女が住んでいてその少女と響きあう作品。それが私にとっての宝塚歌劇の傑作です。その点が、これはもちろん、私にとってですが、「王家に捧ぐ歌」の中にはなかなか見出せなかったのです。

作品としては、素晴らしい壮大な演劇作品だと、本当に感心しています。

 

●涙

おばちゃんと呼ばれる年齢になって、大変に涙もろく、朝ドラで泣き、宝塚の様々な作品で泣き、ほんとにまぁ、ちょろい観客なんですね。劇場でぼろぼろ泣くって、素晴らしいカタルシスをもたらしますよね。

ただ、人によって涙のスイッチはそれぞれだからこそ、ぜひ、朝夏まなとさんのトップお披露目公演をどうぞご観劇ください。

 

私は、真風さんが出てこられてナイフを振り回したり、フィナーレでにやっと笑って踊っているのを観られたら、それでもぅ、すべてが飛びますので、もちろんまだまだ観劇いたします。

 

※お読みいただき感謝いたします。実はこの時の感想は、まだ2度目の観劇の時。その後、3度目の観劇で、朝夏まなと様=まぁ様の声の演技、ファラオとアモナスロの熱演に感激しました。こちらをぜひお読みいただければ、よりお分かりいただけると思います。

mothercoenote.hatenablog.com

 

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※結局、「王家に捧ぐ歌」について19個もの記事を書いていて自分に呆れました。よろしければご覧下さい(^-^)。

mothercoenote.hatenablog.com