皆さま、本日、博多座にて月組さんの「長崎しぐれ坂/カルーセル輪舞曲」を観劇してまいりましたので、その感想をお届けします!
まずはお芝居の感想から。再演とはいえ、ネタバレしていますので、お嫌な方はお読みにならないでくださいね。
1.郷愁と異国情緒が入り混じった物語
幼馴染の友情と恋がテーマの和ものです。しかし、お芝居の舞台は異国であるかのような長崎のまち。そこに遠い異国の話であるかのような、不思議な切なさがあります。
江戸、長崎と随所に日本のお祭りが盛り込まれ、粋で華やかであるとともに、漂う哀愁。精霊流しの場面では、夏の終わりの切ないような哀愁が舞台に広がります。
幕開けの江戸・神田明神のお祭りで踊る轟さんと珠城りょうさんのいなせな江戸っ子ぶり。ばっちり決まっています。ゴージャスな並びですね。
一方、舞台は長崎の唐人屋敷。一種の治外法権のような囲いの中に閉じ込められたまちが舞台です。
犯罪者であってもはぐれ者に優しいまちなのでしょうか?逃げ込んだ伊佐次をかくまい守ってくれる唐人屋敷の人々。日本でありながら異国である長崎のまち。
この和もののお芝居を不思議な物語にしているのは、その舞台設定にあると思います。
日本人の情緒に訴えつつ、遠い異国の遠い人々の物語を観ているような不思議さ。登場人物も時代背景も自分のこととしては、共感するわけではないのに、なぜか郷愁と切なさを感じる。そういうお芝居だと私は思いました。
帰りたい場所に帰れない。一緒に生きたかった人と一緒には生きられない・・。
その切なさと寂しさがあります。
2.幼馴染3人の友情と恋
轟悠さん演じる伊佐次は、江戸の大名屋敷を片っ端から襲い金品を奪い、人を殺めたという極悪人。逃げて、長崎の唐人屋敷にかくまってもらっています。いい男だけれど、やさぐれていて、子分達の信頼が厚いはずなのに、らしゃ(暁千星さん)をはじめ、仲間割れもしかかっている・・。
伊佐次自身も本当はこの囲いをでて「江戸に帰りたい」という切なさが募っています。
珠城りょうさん演じる卯之助は、江戸から長崎まで伊佐次を追ってやってきた長崎奉行の下っ端です。「うどの大木」と言われるたびに、「うどじゃねぇ、卯之助だい!」と返す珠ちゃんがねぇ、いちいちかわいい!!
そのたびに、「うんうん、おばちゃん、知ってるで(^^)」と言いたくなるmiyakoguです。
そして、愛希れいかさんの演じるおしまさん。もとは芸妓さんだったのかな?今では裕福な堺商人の囲い者。粋な姐さんです。商売で長崎に船で来た旦那についてきて、3人は再会します。
江戸・神田明神の元で共に育った幼馴染の3人。
彼らの間にはかつてほんのりと恋があり、友情があった。再会により、「一緒に江戸に帰りたい、やり直したい」という気持ちが募る伊佐次とおしまさん。
しかし、伊佐次が逃げるために唐人屋敷の囲いから一歩出て、長崎しぐれ坂を下りようとすること、それは伊佐次の最期を意味しています。長崎奉行と江戸から来た館岡(朝美絢さん)は一種の治外法権であるその場所から、伊佐次が出てくるその日に捕まえようと、その時を待っているのです。
伊佐次を捕まえようと江戸から来たはずなのに、そこを何とか防ごうと、おしまを説得し堺に返し、伊佐次を守ろうとする卯之助です。なぜ・・?
3.卯之助のヒーロー・伊佐次
幼き頃から足が悪く、いじめっ子の標的になっていた卯之助を、守ってくれたのが伊佐次。お芝居始まってすぐ、その場面があります。
この子役三人さんが、皆さま、歌うまさん。パンフレットを確認しましたところ、蘭世恵翔さん、柊木絢斗さん、結愛かれんさんでした。結愛かれんさんは、唐人屋敷内でわかばちゃんの友人役でもあるのですね。可愛らしい笑顔の方です。
幼い頃から、卯之助にとってずっと伊佐次はヒーローだったのです。
ピンチになれば、どこからかさっと現れて守ってくれて、励ましてくれる心優しいヒーロー。
そのヒーローが逆に危機にある今、ある意味、立場を利用して、卯之助は伊佐次を見張ることで守り、本当は何とかして生き延びさせようとします。
皆さまには、自分のものにしたいわけではない。けれど、その人が生きて、幸せでありさえすればいい。そう願った相手を持った経験はありませんでしょうか?
卯之助にとって、伊佐次はそういう対象であり、それは友情を超えた、ある種、恋と言っていいような憧れに満ちた感覚ではなかったかと私は思います。
こうなったら、正直に言うけどな、おばちゃん、気ぃついてたで!!
ばん!(立ち上がるmiyakogu)
この話な、伊佐次を巡るおしまさんと卯之助のライバル関係で、卯之助がうまいこと言うて、おしまさんを堺に返したんとちゃうん?そいで、唐人屋敷内での伊佐次の女だった李花(憧花ゆりのさん)からも奪ってさぁ?!(注 miyakoguさん、錯乱中)
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あ、失礼しました。こほん。
卯之助が必死で伊佐次を守り、江戸に逃がそうとするところで、無常にも伊佐次はかねてより狙っていた奉行によって撃たれます。
スモークに浮くような小船の中、息絶える伊佐次。後ろから抱きかかえる卯之助・・。轟さんの手を取り、後ろから抱く珠ちゃん・・。
ばん!!(再び立ち上がるmiyakogu)
おばちゃん、やっぱり、これ人情ものに見せたBLもんにしか見えんわ!!(注 miyakoguさん、再び錯乱中)
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あ、失礼しました。
4.寂しい切ない植田先生の物語
何というか、寂しい風が吹くような物語なのです。
伊佐次の轟さんの表情とやさぐれっぷりがお見事で、本心を隠して少し快活に威勢よく見せている珠ちゃんの演技が最後のシーンを知ってから思い返すと切なくて、おしまさんが思いを断ち切り、伊佐次のために去っていく時の歌声が寂しくて・・。
これが植田歌舞伎というものか・・、とそう思いました。ミュージカルではなく、音楽付のお芝居。音楽が古く感じてしまう場面も正直、ありました。ただ・・。
植田先生のインタビュー本「宝塚百年を越えて: 植田紳爾に聞く」(植田紳爾、川崎賢子 著、国書刊行会)が我が家にはあります。
他のインタビューでも語っておられますが、植田先生は小さい頃にご両親を相次いで亡くされ、叔父様夫婦の養子になられたとのこと。疎開先でも空襲にもあわれて・・。
伊佐次が「江戸に帰りたい」と何度も言うとき、私は植田先生ご自身の帰りたかった場所、会いたかった人への思いが、そこに反映されているように思ったのです。
植田先生が卯之助のように、幼い頃から抱えておられたのではないかと思われるしぃんとした孤独。その孤独を救ったのが、宝塚歌劇の圧倒的な華やかさ、きらびやかさではなかったかと、その本を読んで以来、私は考えています。
そういうものを抱えた人が日本各地でのお祭りに心惹かれ、賑やかなお祭りも哀愁が漂う精霊流しも舞台に登場させたかった。その気持ちが少しばかり分かるような気がいたしました。
それは私の単なる想像、深読みかもしれません。しかし、その思いが込められたかのように感じた不思議と切なく、異国情緒がありながらの、日本の人情物語。どうぞご観劇をお楽しみください。
ええとね、娘とご飯を食べたら、お芝居その2と、ショーの心の声ただ漏れ感想で行くから!! ←miyakoguさんに何かあった模様・・。